ufpメンバー紹介

photo小池 弘美

Hiromi KOIKE

プロフィール

福島生まれ。法政大学卒業。金融会社勤務の後、97年からイタリア在住。ペルージャ外国人大学とパドヴァ大学に学ぶ。 旅行会社社員と日本語講師を兼務。2002年に結婚、ウェブデザイナーのイタリア人の夫と二人暮らし。デジカメ片手に小旅行するのが趣味。 イタリアの地方の食材の紹介や、スポーツ(特にサッカー、F1)観戦記、伝統行事のルポなどを日本に発信してみたい。

ジャンル

日伊社会の比較、イタリア社会での女性の地位、イタリア料理・流行・ライフスタイル

執筆例

イタリア検札事情(福島民報新聞 2001年6月)

photo ベネチアの人たちから何度か聞かされた話である。

 ある日本人観光客が、ベネチアを訪れ、水上バスを使った。どこの停留所でもこの水上バスの切符を売っているわけではない。 観光客は切符なしで水上バスに乗った。検札係りも船内にはいなかったようで、観光客はキセルとは気づかないまま乗りつづけた。 日本に帰国後、この観光客は切符を買うべきであったことを知った。そこで、丁重なお詫びの手紙とともに、 支払うべきであった運賃相当分をベネチアの水上バス会社に送付した。こういう内容の記事が何年か前に地元の新聞に載ったというのだ。 何年か経ってもこの小さな出来事を覚えている人がいる、ということは、よほど印象的なことだったに違いない。

 今でこそ水上バスにも、ひんぱんに検札が乗り込んで来るようになったものの、少し前までは検札など本当にまれにしか乗ってくることはなく、 無賃乗船したい人にとってはしたい放題だった。5年もの間無賃乗船してもみつかったことはない、と自慢げに話すイタリア人の話をきいたことがある。 陸上を走るバスに乗るにも事前に切符を買わねばならない。車内では普通売っていない。ただし、切符を買うだけではいけない。 買った切符をバス内に置いてある機械に挿入し日時を刻印する。検札が来たら刻印済みの切符を見せて、無賃乗車でないことを証明する。 刻印するためのこの小さな機械がまたくせものである。切符を受け付けないもの、印字しないもの、日時がでたらめなもの。機械の故障のせいで 刻印できなかった乗客の切符を見て、検札係りはなんというのだろうか、というのが目下のわたしの関心事のひとつである。 ただ乗り防止のために検札するなら、少なくとも機械はきっちり動くようにしておくべきだと思うのだ。

 イタリアに着いたその日、ローマのテルミニ駅から特急列車に乗った。発車ホームが突然変更になり、別のホームまで走って あわてて車両に乗り込んだわたしは、ホームにある機械に切符を入れて刻印するのを忘れてしまった。しばらくして車掌のおじさんが回ってきた。 罰金を覚悟していたわたしに、そのおじさんはにっこり笑いかけ、切符になにやら書き込んで立ち去った。どうやら、慣れない外国人から 罰金をとる気にはなれなかったらしい。このおじさんの行為も、イタリア国鉄規約(そんなものが存在すれば)からはずれたいいかげんなものかもしれない。 しかし、この人間的ないいかげんさにわたしが救われたことも確かだ。

 彼らのおうようさに甘えてはいけない、と思う。はじめに引用した日本人観光客は、いいかげんなイタリアの検札システムに甘えず、 その人自身のモラルを守った。だからイタリア人の心を打ったのである。

ナポリに行きたい(福島民報新聞 2001年9月)

photo ヴィットリオ・デ・シ-カ監督のイタリア映画、「きのう・きょう・あした」は、三都市を舞台にした 三つの物語からなっている。ナポリ編が一番おもしろい。主演はマルチェロ・マストロヤンニと ソフィア・ロ-レンで、ふたりは貧しい夫婦役だ。闇たばこを売ったり、役人がこの二人の家財道具を差押えにくるのを 近所の人たちが邪魔したり、と今でもありそうなことが温かく描かれている。映画を観たからというわけではないが、 ナポリは一度住んでみたい所である。

 「ナポリを見て死ね」ということばがある。それほどナポリは美しいということなのだが、ここイタリア北部では ナポリに代表される南部の都市は不評である。いわく、治安が悪い、人々が働かない、などなど。 ベネチアの治安がいいといっても日本の都市にくらべたら物騒だし、ベネチアの銀行員の労働時間だって、 日本の銀行員とは雲泥の差。日本人のわたしには北と南の違いなど五十歩百歩だ。

 イタリア中部の町にすむヴィンチェンツォおじさんは、徴兵にとられた40年ほど前、ナポリの駅で居眠りをしていて、 はいていた靴を盗まれた。兵隊用のがっちりした編上げブ-ツである。そろりそろりとひもをはずしながら 靴を脱がせている泥棒を想像すると笑いがこみ上げる。おじさんはまじめな面持ちでわたしにこういった。 「ナポレタ-ニ(ナポリ人)は天才だ。盗めない物は何もない。」車の運転にシ-トベルト着用が義務づけられた頃、 ナポリで大いに売れたものがある。肩から斜めに線の入ったシャツだ。これを着て車に乗れば、シ-トベルトを着用しているように見えるからだ。 違法には違いないが、何か底抜けに明るくて憎めないものがそこにはある。

 よきにつけあしきにつけ、多くの人のもつイタリアのイメ-ジは南部イタリアのものだと思う。 外国人観光客がべネチア名物のゴンドラに乗りながら聞きたがる歌はというと、「オ-ソレミオ」「フニクリフニクラ」 「サンタルチア」などナポリ民謡ばかり。墨田川を下る納涼船で「会津磐梯山」を歌ってくれといっているようなものである。 数年前、ナポリの歌ばかりゴンドラで歌うのはどうか、という市民運動が盛り上がったことがあるが、 観光でなりたっているこの街では、観光客の要望に応えざるをえないらしい。今でもゴンドラの上ではナポリ民謡オンパレードである。

 ナポリといえばピザが絶品だそうである。ベネチアでおいしいと評判のピザレストランでも、 実はナポリのピザ職人が焼いていたりする。イタリア人が絶賛するナポリのピザ。いつかナポリを訪れてこれを食せねばなるまい、と真剣に考えている。

マンマなしには語れない。みんなマザコン。(福島民報新聞 2001年11月)

photo イタリア語で、母親べったりの子供をあらわすことばを「マンモーネ」という。「マンマ」(お母さん)が語源である。 日本語の「マザコン」のような暗いイメージはない。ここではマンモーネはごく普通だからだ。 イタリアでは小学生が親(多くは母親)に連れられて学校に行く。下校のときも校門で子供たちを待つ母親。 子供の安全のため、と母親はいうだろうが、はたしてそれだけだろうか。

 シドニーオリンピック開催中、メダルをとったイタリア人選手が「(メダルを)マンマにささげます」と言うのを何度か見た。 選手を支えてきた母親が、勝利を目前に惜しくも前年他界したか、などと一瞬勝手な想像をしがちだが、そうではない。 当のマンマは観客席でぴんぴんしていたりする。

photo 私の日本語講座の女生徒、アリアンナは結婚3年目。彼女の夫ルカは毎日母親と電話で近況を報告しあうそうである。 アリアンナに言わせれば、イタリア人(特に男)がマンモーネなのは、母親が子供を離したがらないから、だそうだ。 友人の日本人女性は、イタリア人の恋人フェデリコと一緒に旅行にでかけた。彼の旅行バッグには母親が用意した洋服、 下着、洗面用具がきっちりとつめられていたという。また、わたしの知人何人かで食事会を催すことになったときのこと。 そのうちのひとり、マリオが直前になって、参加できない、と電話してきた。理由がなんと、「マンマの気分が沈んでいるから」だった。 このマリオを、「しょうがないマンモーネだよな」とコメントしたのは、母親に旅行バッグをつめてもらっているフェデリコ。 「目くそ鼻くそを笑う」とはこのことである。ほかにも、土日に洗濯物をマンマに洗ってもらう独身サラリーマン、 洋服を買うのはいつもマンマといっしょ、という大学生、自分の下着のサイズすら知らない35歳の男(下着を買うのはマンマだから)、 などなど、身近に見聞きした例をあげるだけでも頭痛がしてくる。みな悪びれていないところがまたすごい。

 1998年の統計を見てみると、イタリアの25歳から29歳までの若者のうち、男性では71%が、女性では46%が親元にとどまっている。 家を出たあとも、毎日のように連絡をとりあう親子たち。イタリアのマンマは実に幸福そうである。

 街を歩くとイエスを抱いたマドンナ(聖母マリア)像をあちこちでみかける。人々にとってはイエスよりも身近なものであるようだ。 イタリア人の「なんてったってマンマが一番」という感覚の根っこはここにあるのかもしれない。さて、驚いたときにイタリア人が 口にすることばがある。「わたしのおかあちゃん!」という意味の「マンマ・ミア!」がそれである。

悪徳運転手の手口をテレビで見た(福島民報新聞 2002年2月)

photo 先週一週間、毎日夜8時半からのテレビ番組にくぎづけだった。うそかまことか、 この番組は視聴率30%を誇る番組である。その名も「ストリシャ・ラ・ノティツィア」、 直訳すると「ニュースがのたうつ」の意味だ。人々に取り付いた呪いを「お祓い」して 大もうけをしていた占い師のうそをテレビで告発し、逮捕にまで発展させた実績もある。

 今回は、ローマのタクシー運転手の巧妙な手口を連日にわたって紹介する、というもの。 まず番組の依頼を受けた日本人が、観光客になりすましてローマの空港からタクシーに乗る。 行き先はロ-マ市内にあるホテル。通常なら35ユーロ(日本円で4千円相当)で行ける距離である。 タクシーの運転手は日本人がビデオカメラで隠し撮りしていることも知らず、 日本人に70ユーロを請求する。驚いた(ふりをした)日本人は、「普通は35ユーロぐらいじゃないの?」 とたどたどしいイタリア語と英語まじりで応じる。運転手、すかさず反論。 「空港から市街までは往復料金をもらうことになってるんだ。知らなかった?」録画をみながら番組の司会者は、 「嘘ばっかり。だまされちゃいけませんよ、日本のみなさん」とコメント。別の日本人がやはり、 空港からタクシーに乗る。40ユーロを請求された日本人は50ユーロを渡す。すると運転手は、 受け取ったはずの50ユーロ札をさっと10ユーロ札にすりかえ、「10ユーロじゃなくて50ユーロだよ、50ユーロ」という。 手品のような手際のよさである。ここでも司会者は、「視聴者のみなさん見ました?なんともあざやかな手さばきです!」 ほかにも、まったく同じ行程なのに95ユーロ請求する運転手、100ユーロ受取って50ユーロ受取ったふりをする運転手、 などなど。番組は、これら運転手たちの行為を紹介したあと、タクシ-協会の代表のところへインタビュ-しにいく。 正規の料金を確認するためと、たしかに違法行為であることをマイクの前で明言させるためである。 「ただの暴露番組じゃないんだからな。やるときゃやるんだからな」という意気込みがみえるようだ。

 そうこうするうち、タクシー運転手の不正行為をいっせいに検挙する動きがでてきた。 この番組の成果であることはまちがいない。だがしかし、こんな悪徳運転手が(ごまんと)存在することぐらい、 誰だって知っていたはずだ。それがずっと野放しになっていたのに、電波に乗ったからといって検挙しだすというのは いったいどういうことだろうか。

 イタリアを旅するのは、「だまされるかもしれない」「おつりをごまかされるかもしれない」 という思いとのたたかいである。それでもイタリア旅行は楽しい。いつだったか、 ロ-マのレストランで食事をしたとき、イタリア語が話せる、というだけで、 その日の夕飯がただになったことがある。旅先で、いや実生活においてさえ損をするのも得をするのも、 イタリア人にいわせればすべては「運」だそうである。そうかも知れない。