<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0" 
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#">

<channel>
<title>ufp - united feature press</title>
<link>http://www.ufpress.jp/</link>
<description>united feature press世界の日本語ジャーナリストを結ぶネットワーク日本初の執筆・編集NPO法人（特定非営利活動法人）東京都渋谷区渋谷1-20-3　tel:03-5467-0861</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-04-05T16:36:15+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.movabletype.org/?v=2.661" />
<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
<sy:updateBase>2000-01-01T12:00+00:00</sy:updateBase>

<item>
<title>容疑者４千人放免かーカトリーナの思わぬ余波</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000206.html</link>
<description>容疑者４千人放免かーカトリーナの思わぬ余波 （AERA ３月２７日号から転載） ハリケーンに破壊され、いまだに復興のめどが立たないニューオリンズの司法システム。このままでは約４０００人の犯罪者が放免される。日本人旅行者の殺害犯釈放の可能性も出てきた。 豪華絢爛たる山車が次々と通りすぎるたび、沿道を埋め尽くした人々から歓声があがる。昨年８月にハリケーン・カトリーナによって水没したバーボン・ストリートは、色とりどりの衣装を身に付けたダンサーと見物人で埋め尽くされた。ストリートミュージシャンたちはここぞとばかりにノリの良い演奏を披露し、街をあげてのドンチャン騒ぎを盛り上げる。先月末、米国南部最大の祭りであるマルディグラに沸き返ったニューオリンズ。しかし、中心部を少し離れれば、そこここにハリケーンの残した爪あとが残っている。あちこちに見られる半壊した家屋、いまだに避難生活を続ける被災者。かつて５０万人だった人口は２０万人に満たない。そして今、インフラ部分での更に深刻な影響が浮上してきた。司法システムが破壊されて審理が行えないため、拘留中の容疑者約４０００人を釈放する可能性が出てきたのだ。 足りない国選弁護人 低所得層の多いニューオリンズでは、毎年約１万二千人の逮捕者のうち９０％が国選弁護人を指定する。国選弁護人を統括するニューオリンズの公共弁護人事務所は、ハリケーンの影響で予算の殆どを失った。かつて４２人いた国選弁護人のうち３６人が解雇され、残っているのは６人。現在拘引中の被疑者約４０００人をこの人数でさばかなければならない。弁護士一人当たりの担当件数は７００～８００人にのぼる。６人のうちの一人の弁護士は「容疑者全員に接見するだけでも一年かかる計算」とこぼす。 　拘引者の中には、本来なら１日の裁判ですむ軽微な犯罪者や、明らかなアリバイがあるケースも多い。それでも審理が行われるまでの間、堀の中で過ごさねばならない。 人権団体の法律顧問を務めるバリー・ゲルハーツ氏は「彼らは確たる証拠もなしに、自分で弁護士が雇えないという理由だけで拘引されている」と指摘する。 これといった打開策がない以上、人道的な見地からも一時的な釈放はやむなしという声も上がり始めている。しかしそれは警察力が完全に回復していないニューオリンズにとってはかり知れない脅威となる。 更に最悪のシナリオも懸念されている。ルイジアナ州の法律では、容疑者逮捕から３年以内に審理を行う事を定めており、これが果たされないケースでは釈放も考えられる。２００６年に３年間の期限が切れる容疑者の中には、３年前、ニューオリンズを旅行中の日本人女子大生を殺害したとされるティモシー・ヘンソン容疑者も含まれている。ヘンソンは女子大生殺害の事実を認めているが、精神錯乱を理由に無罪を主張している。CNNは番組中でヘンソンの事件を取り上げ、「この男を釈放してよいのか」と全米に問題提起した。 “我々はいまだに屋根の上にいる” 　深刻な事態を引き起こした原因は、ニューオリンズの特殊な財政システムにある。公共弁護人事務所は主に交通違反の罰金を財源としてきた。ハリケーン以後、道路を走る車の数は激減し、収入はゼロ近くに落ち込んでいる。改善の見通しはまったく立っていない。州議会は最後の手段として、連邦政府に公共弁護人事務所への援助を要請する議案を提出、全会一致で可決した。しかし、すでにあらゆる部分で政府の援助を受けている今、発案者であるリディア・ジャクソン州議員でさえ、連邦政府が法案を“買ってくれるかどうか疑わしい”と語る。　 　ニューオリンズ地方裁判所のカルビン・ジョンソン判事はテレビインタビューを通して、事態の重大性を全米に訴えた。 「釈放された犯罪者がニューオリンズにとどまっているわけがない。彼らは全米に散っていく。あなたの街にもやってくるでしょう」 ジョンソン判事はハリケーン直後、連邦政府の対応が遅れたために被害が広がった事を引き合いに出し、今度こそ迅速な対応をと懇願した。　 「大勢の被災者が屋根に上ってレスキュー隊を待ちわびていた。我々は今も、屋根の上で助けを待っているんです」 （岩下慶一　ユナイテッド・フィーチャー・プレス）...</description>
<guid isPermaLink="false">206@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>岩下慶一</dc:subject>
<dc:date>2006-04-05T16:36:15+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>イスラエル選挙狂想曲</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000204.html</link>
<description>イスラエル総選挙が3月28日にもたれる。テレビでは政見放送や各党のコマーシャルがしきりに流されている。イスラエルメディアは言論の自由ということを第一義においているため、首相批判、内閣批判などは日常茶飯事でときにはそれが高じて個人攻撃にまで発展する。今回の政権CMでもそれぞれの特色が出ていておもしろい。 今回の選挙はエフード・オルメルト首相代行が率いる新党カディーマが大勝するとの予想がすでに立てられており、代表的二大政党であった保守派リクードと左派労働党がいかに議席を確保するか、そして小型政党は社会問題を焦点にどこまで食いこめるかという票の奪い合いが展開されている。 現在のイスラエルが抱える主な問題は次の三つである。 １、パレスチナとの和平領土問題 ２、1に基づく入植地撤退による国内世論の分裂 ３、不景気による貧困層の増加 大型三大政党以外は、どこと連立を組むかでその対応が変わってくる。宗教政党の中で最も影響力の強いシャスはオルメルトと接近し、カディーマと連立を組む姿勢を示している。 逆に世俗派政党の急先鋒であるヘッツ党は、オルメルトがシャスの大会で協力を呼びかけている映像を流し、カディーマも宗教政党の影響は免れないとしてオルメルト不支持のCMを流している。 そのほかにも数多くの政党があるが、CMを見る限り印象的なのは革新左派のメレツ党がある。嘆きの壁に願い事を書いた紙をはさみながらそれぞれが祈るのだが、その内容はエチオピア系の女性が「大学を卒業できるように」というものや、老人が「孫にお土産を買ってあげるだけの収入があればいい」と世相を反映するものだ。 その中に男性が「ボアズと結婚できるように」と祈るシーンでてくる。ボアズとはユダヤ人によくある男性名である。宗教的にタブー視されている同性愛者の視点も取り入れたということだろうが、よりによってユダヤ教の聖所をモチーフによくやったものである。 他のバージョンでは、精子の着ぐるみをきたお笑い二人組がこれから生まれていく社会への不安をコミカルに演じるものもあった。日本でこんなものを政党が流したら大問題になるのは間違いない。ユダヤ人のシニカルさはこういった局面にもよく現れている。 イスラエルこそ我が家、とはリーベルマン党首率いるロシア系移民が基盤の政党だが、普通にロシア語のYES、NOであるダー、ニエットという単語を用いてニェット・オルメルト、ダー・リーベルマンと気勢をあげている。CMの内容自体はなんの統計データもなく、リーベルマンこそが国会で何にも屈せず戦い続けてきたと連呼している。イスラエルで急増している犯罪問題に焦点を当てているが、リーベルマンには犯罪を阻止する明確な方法がある、といって彼が語ったのは、「犯罪者は牢屋から出さない」という一言だった。 イスラエルでの犯罪急増はロシアから流れ込んだマフィアによる部分が多いということにはもちろん触れてはいない。普通に見ているとあきれるが、ロシア系票田の力は強く世論調査では8議席は確定と見られている。 リクード党のCMでは、小型政党の名が記された投票用紙が次々とシュレッダーにかかり、小型政党では大政党に歯が立たないとよびかけるものもあった。現在の貧困問題は党首ネタニヤウが首相時代に行った養育、年金補助のカットに端を発していることもあり、貧困問題にはあまり触れず安全保障と和平問題に焦点をあてている。労働党は暗殺された和平推進派ラビンの遺志を継いでいるとし、カディーマは現在脳梗塞で植物人間状態のシャロン首相の遺志を継いでいるとそれぞれ宣伝している。 シオニズム系宗教政党は主に入植地撤退によるユダヤ人同士の攻防を流し、このような状態をもたらしたのは安易な和平交渉によるものだとして、国民に広がる安全保障への不安に訴えかけるものが多い。宗教政党と真っ向対立しているシヌイという世俗政党はそれさえもお笑いとして人形劇にし、能天気に警察にブロックを投げつける入植者をロバ（＝馬鹿の象徴）のキャラクターにしたてて描き出している。こいつらこそイスラエルの恥で怖いのは宗教的熱狂だとコメントし、最後には「シヌイを国会へ、シャスを追い出せ」とのスローガンで締めくくる。 イスラエル市民権を持つアラブ人政党も三党ある。共産系、保守系、革新系となっているが、それぞれに数少ないアラブ系市民の票の食い合いをしている上、アラブ系市民はイスラエルの選挙には興味が少ないため厳しい戦いを強いられている。 そのほかにも銀行と戦う党（イスラエルの銀行は普通預金では利子がつかず使用料が逆に取られる）や環境問題に関する党などもある。ただ、以前まで出ていた大麻容認政党は姿を消していた。 イスラエルの選挙となると必ずパレスチナ側がどの政党の勝利を願うかというコメントを出すのだが、今回パレスチナのファタハ代表であるアッバースはカディーマの勝利を願うとコメントした。これに和平推進の主役と自負していた労働党は落胆し、リクードはカディーマを左翼政党であるとして入植者や保守派国民のカディーマ離れを促した。 カディーマ自体、様々な政治家が流れ込み右か左がはっきりしない状態であったがこのコメントをもとに世論は中道左派という見方をするようになった。しかし、このコメントは政治的にハマスを押さえ込める唯一の可能性があるファタハがカディーマを認めたことになり、いかなる形でも和平交渉の再開を願う国民の票はカディーマに集まるものと考えられる。 街中では各政党の横断幕がぶらさがり、交差点では信号待ちの車にそれぞれの政党のステッカーを支持者が配っている。ふと交差点で小さなチョコレートとともに渡されたステッカーは今まで見たことの無いものだった。よく読んでみると「甘党が一番」と書かれたチョコレート会社の選挙便乗宣伝。どこまでもたくましい国民である。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　http://blog.shaul.ciao.jp/...</description>
<guid isPermaLink="false">204@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>福地波宇郎</dc:subject>
<dc:date>2006-03-13T18:47:24+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>スピルバーグの新作「ミュンヘン」が呼ぶ波紋</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000202.html</link>
<description>（ＡＥＲＡ　２月６日号から転載） 　「ミュンヘン」は、１９７２年、PLO（パレスチナ解放機構）ゲリラ「黒い９月」がミュンヘンオリンピックの選手村を襲撃、イスラエル選手団１１人全員が死亡した事件を元にしている。映画はイスラエルが報復措置として、テロに関わったPLO関係者全員の暗殺を決定するところから始まる。主人公アブナー（エリック・バナ）を始めとする５人のモサドの精鋭は、潜伏するテロ指導者たちを一人また一人と暗殺していく。ハリウッド最高峰の演出力は遺憾なく発揮され、一級品のアクションスリラーに仕上がっている。批評家からは「スピルバーグの最高傑作」という声も上がるほどの出来栄え。 しかしスピルバーグの本当の仕掛けは、暗殺者とテロリスト双方の人間性を描いた点にある。任務のために妊娠中の妻を残して故国を離れる暗殺者アブナー。読書会を唯一の楽しみとして隠遁生活を送る老テロリスト。過激派という仮面を取れば娘を愛する良き父親であるPLO幹部。立場を超えれば一人の善良な人間である彼らに戸惑いながらも殺戮を続けるアブナーだが、次第に祖国のためという大義名分に疑問を抱き始め、やがて“報復”という行為の意味を見失っていく…。 「暴力連鎖の否定」 映画の真のテーマが９１１テロからイラク戦争へと続いた“暴力の連鎖”への批判である事は容易に想像できる。アブナーが報復行動の不毛さを口にするシーンで、背景にワールドトレードセンターを持ってきた事からもそれは伺える。しかしスピルバーグの意図とは別に、米国のユダヤ社会から非難の声が巻き起こった。劇中のメイヤ首相の「我々は強い、ということを知らしめなければならない」というセリフ通り、イスラエルは“攻撃には報復”という図式をもって国家の安全を保持してきた。ユダヤ系知識人の代表格であるスピルバーグがこれを否定するような映画を作った事を一種の裏切りと感じたユダヤ人は多い。ユダヤ系ジャーナリスト、チャールズ・クラウサマーは、スピルバーグを“無知蒙昧なハリウッド人間”と切り捨て、イスラエルは「テロ防止を報復にすり替えている」と非難した。 エルサレムポストの批判はもっと直裁だ。「米国政府への直接批判が生む摩擦を恐れたスピルバーグは、賢い事にテーマをミュンヘンテロにすり替えて持論を展開した」 この指摘はある意味当たっているかもしれない。前出のワールドトレードセンターのシーンがそれを裏付けているし、スピルバーグ自身がイスラエル擁護を続けてきた事実や、イスラエルの自衛権を肯定する発言をしている事、何より映画の随所で表現されるイスラエルへの愛情を見ても、批判の真の対象がイスラエルでない事は明白だ。 「テロ抑止のための報復」 ジュイッシュ・ジャーナルのロブ・エシュマン編集長は、自身も含め「映画を興味深く受け止めているユダヤ人も多い」と語る。血なまぐさいパレスチナの現実に辟易しているのはユダヤ人も同じだという。しかし、テロ抑止としての報復措置を肯定する考えは、これらリベラル派ユダヤ人にも依然として強い。「日本のような平和な国家と違い、バスの爆破や空港での銃撃と常に隣りあわせの国では抑止力としての報復は必要だ」あるユダヤ系米国人は言い切る。 エシュマン氏も報復の有効性を信じる一人だ。「日本の裁判所がサリン事件の麻原彰晃に死刑判決を下したのはなぜか。犯罪抑止という意味ならば収監しておくだけですむ。犯した罪の重大さを知らしめるための死刑である筈だ」 シャロン首相が脳梗塞で倒れた今、パレスチナ問題が新たな局面を迎えるのは必至だ。スピルバーグが同胞からのバッシングを覚悟で「ミュンヘン」に込めた思いは、彼の地でどのように受け止められるのだろうか。 （岩下慶一　ユナイテッド・フィーチャー・プレス）...</description>
<guid isPermaLink="false">202@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>岩下慶一</dc:subject>
<dc:date>2006-02-14T13:04:10+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>「TATTOO文化とLAファッション」</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000201.html</link>
<description>　スカル（頭がい骨）、龍、デビル、芸者など、様々な色とデザインを用いた「タトゥー（日本語：入れ墨）」は、「カウンターカルチャー」という意味合いを越えて、一つのファッションアイテムとして定着しつつある。サンフランシスコと並ぶ一大タトゥーシティーであるロサンゼルスのタトゥーショップは、ビーチ沿いの小さな店から、ハリウッド周辺にある有名タトゥーアーティストのスタジオまで、大小合わせて有に１５０軒を越える。 　２月にラスベガスで開かれた”the MAGIC Marketplace”では、２００５年秋冬のファッショントレンドの一つ「ロック」「パンク」を象徴するアイコンしてのタトゥーを取り入れたブランドが目立った。YELLOWMANやSLLEVELES INC.といった、有名タトゥーアーティストのデザインをシースルー素材にプリントし、Tシャツやタンクトップなどをと組み合わせて着る、といったスタイルを提案するブランドが登場。また、GRAILやLucky 13など、デザインワークにタトゥー柄の定番マーク、スカルやクロスを使用する南カリフォルニア発のブランドもすでに人気が定着した。 　タトゥーをデザインに使ったファッションへの注目度は上がる一方だが、中でも最もホットなブランドが、“キングオブジーンズ”と評された元Von Dutchのデザイナー、クリスチャン・オゥディジェ率いる「Ed Hardy」である。オゥディジェ氏は、彫師の巨匠エド・ハーディー氏の３０年に渡るタトゥーデザインを、今後１０年間ファッションの分野で使用する権利を得た。「タトゥー界のゴッドファーザー、ハーディー氏との出会いによって、念願だった自分のブランドを持つ事ができた。私がやろうとしているのは、他のブランドのような、単にタトゥーデザインをTシャツにするといった事とは全然違う。アパレルラインだけでなく、エナジードリンクやバイクなど、タトゥー柄をエッセンスにした“ライフスタイル”をトータルコーディネートできるブランドを作っていくつもりだ。」と語った。 　Von Dutch時代から、街の様子が気に入っていたというメルローズに、ショップとオフィスをオープン。ハリウッドが近いこともあり、モデルやセレブたちが出入りし、ファッションショーなどのイベントも頻繁に企画している。近々カフェもオープンする予定で、グローバルな展開を視野に入れ、エッジの効いた「Ed Hardy」ブランド王国建設に日々邁進している。...</description>
<guid isPermaLink="false">201@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>寺町幸枝</dc:subject>
<dc:date>2006-02-05T13:41:00+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>イスラエル政局に新たな波</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000200.html</link>
<description>イスラエル政界再編 長年二大政党制を保ってきたイスラエル政界で新たな動きが起きている。 保守派リクード党の党首であり、リクードを立ち上げた人物でもあるアリエル・シャロン首相がリクードを脱党し、新党「カディーマ」（ヘブライ語で前進の意）を立ち上げた。 右派リクード、左派労働党というこれまでの図式を塗り替え、こう着状態にある和平行程と国内安全保障問題の打開が狙いであるとされている。 リクード党内ではタカ派として知られるベニヤミン・ネタニヤウ元首相が台頭しており、ガザ入植地撤退を巡る対立が表面化していた。 新党設立後、シャロン首相に賛同する国会議員多数がすでに移籍を表明しており、シモン・ペレス元首相・前労働党首やエフード・オルメルト副首相なども名前を連ねている。 シャロン首相倒れる そのような変動の中にあって1月4日、以前から脳梗塞で入院歴のある首相が突然倒れ新たに手術を受けることとなった。 術後一週間が経過するが、まだ意識は戻っておらず、国民の関心が集まっている。 現地紙の報道によると麻酔によって昏睡状態が続いていたが痛みに反応して手足を動かすことが確認され、麻酔の投与も中止された。注目を集めている後遺症だが、どの程度の脳障害が残るかは意識が戻るまではまったく予想ができないとされており、首相職に復帰できるか分からない状態である。 新党カディーマが立ち上げられたばかりでの出来事であり、党規則もまだできあがっていないためエフード・オルメルト首相代行が中心となり組閣名簿作りが行われている。 また、シモン・ペレス元首相もカディーマのNo.2となることで入党を承認していたという事実が報道されており、今後も引きつづき労働党、リクード、そして改革左派シヌイ党から移籍してきたメンバーがカディーマを構成し3月に行われる総選挙を迎えようとしている。 各党首の顔ぶれ 新党結成により、イスラエルは事実上、三大政党となった。 1月10日に国内のハアレツ・ニュースチャンネル10が行った世論調査に基づく擬似選挙では全120議席中カディーマが44議席、労働党が16議席、リクードが13議席との結果となった。 カディーマはさらに改革左派のシヌイ党、メレツ－ヤハッド党と連立を組む模様である。和平政策の調整次第では労働党との連立も考えられる。 それぞれの現在党首は余り日本でも馴染みが少ない人物かもしれない。 リクード党首ベニヤミン・ネタニヤウは96年にイスラエル初の国民直接投票でシモン・ペレス（当時首相）を破りイスラエル史上最年少で首相となった。経済にも明るく端正な顔立ちにMIT仕込みの英語で、湾岸戦争当時には国連スポークスマンとして世界に名を知らせた。兄はエンテベ空港ハイジャック事件を解決し、その事件で命を落とした国民的英雄でもある。経済失策とスキャンダルで一時政界を退いたが支持者からの後押しにより復帰した経歴を持つ。シャロンを越えるタカ派ともいわれ、国内安全保障を求める入植者や保守派には人気が高い。 労働党党首アミール・ペレツはヒスタドルート（労働組合）の議長を長年勤め、イスラエル国内の労働者から厚い信望をうけている人物である。特に貧困層や庶民の支持が強く、労働状況の改善や福祉の充実などに期待が寄せられている。しかし、イスラエルにとって最も重要とされている国内外の安全保障問題には信頼が乏しく、首相は勤まらないのではと危惧する声も多い。 カディーマ党首および首相代行エフード・オルメルトは長年リクードでシャロンの片腕として勤めてきた人物である。以前から入閣を勧められていたが断りつづけ10年に渡りエルサレム市長を続けてきた。市長職を離れた後、副首相兼経産相として入閣、2005年4月には日本をおとずれ、小泉首相や中川経済産業大臣とも会談を果たしている。経済だけではなく、安全保障問題にも明るい上にユダヤ人の聖都エルサレムへの思い入れも人一倍強いため、領土問題でも安易な妥協をせずに和平を推進するのでは、との期待をもたれている。 　 パレスチナ イスラエル総選挙に先立ちパレスチナ自治政府の選挙が1月25日に行われる。 ここにおいてオルメルト首相代行が東エルサレム地区で行われるパレスチナ選挙にはユダヤ撲滅を標榜する武装勢力ハマスの参加は認めないと宣言した。これによりパレスチナ側からの反発も起こっている。 ハマスはPLO自治政府の腐敗に嫌気のさした大衆や貧困層からの支持が厚いこともあり、東エルサレム約11万人のアラブ人有権者がこの宣言を認めることはまずありえない。 パレスチナ側は1996年に行われたパレスチナ選挙と同じ方式で行うことを主張しており、今回の首相代行の宣言によりハマスは反イスラエル感情を持つパレスチナ内で逆にその支持を伸ばしたとも言われている。 アラブ諸国はシャロン首相入院に際し見舞いのメッセージを送っている。占領下のパレスチナでは首相の病状悪化を祝うために菓子がばらまかれるシーンもあった。しかし現時点での交渉相手として、イスラエル国内に最も影響力があり、パレスチナに対し軟化を見せ始めているシャロンにこのまま続投してもらうことが望ましいとも考えられている。 総選挙の焦点 今回の総選挙で焦点とされるのは１)和平行程および領土問題、２）経済問題、３）安全保障問題である。長引いたパレスチナの民族蜂起により国内経済も破綻しており、失業者数も増加の一途をたどっている。また、アラファト議長の死去によって台頭してきたパレスチナ武装勢力に対する脅威も深まっており、それぞれの政党が問題の落としどころを何処へ持っていくかに国民は注目している。 シャロン首相が復帰するか否かに加え、先にもたれるパレスチナ選挙、アラブ諸国の反応など様々な要素が交錯する。 このまま行けばカディーマが議席の過半数を得ることは間違いないとされるが、イスラエル総選挙までの期間、冷静になった国民がまだ固まりきっていない新党に対する不安を見出す可能性もありえる。領土や入植地の譲渡に反対する宗教政党、保守派の国民も巻き返しを図っている。 今回の選挙はパレスチナ問題の今後を大きく左右すると同時に、これまでのイスラエル政局を大きく変える歴史的な選挙となるであろう。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　http://blog.shaul.ciao.jp/...</description>
<guid isPermaLink="false">200@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>福地波宇郎</dc:subject>
<dc:date>2006-01-12T02:10:10+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>「人口減少でも繁栄」論のウソ</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000198.html</link>
<description>　日本の総人口（日本人に住む日本人と外国人）が減少に転じた。2005年10月１日の国勢調査（速報値）によると、日本の総人口は１億2775万人。1920年に調査を始めて以来、初めて前年を下回った。政府の予測より２年早く、世界の先進国で史上初めて、少子高齢化による継続的な人口減少時代に突入した。 　国立社会保障・人口問題研究所はこれまで人口減少のペースを「2050年には約１億人」と推計していたが、これは日本人女性１人が産む子どもの平均数を示す合計特殊出生率が2007年に1.30台で底を打ち、長期的には1.39で安定するというのが前提。2005年の合計特殊出生率は1.26以下になるとの見方もあり、人口減少のペースはさらに進みそうだ。 　私は2003年に書いたレポート「2006年問題の衝撃㊤㊦」（グローバルビジネスリサーチセンター）の中で、人口減少がもたらす経済・社会への影響は甚大であり、迅速で複合的な政策が必要と書いた。 　特にサービス業やメディア産業、教育、運輸など内需依存型産業には、継続的な需要減がボディーブローのように響く。輸出ができない企業ほど影響は深刻だ。さらには、企業業績は右肩下がりが基調になり、景気の拡大と後退が交互に訪れる「循環」さえ危うくなる可能性も否定できない。 　レポートでは、出生率向上のために未就学児童の医療費・教育費負担をゼロにする「子ども公共投資」のほか、優秀な人材を取り込むための「選択的移民制度」なども提案した。 　だが、マスコミや学者の間では「楽観論」が圧倒的に多い。2005年12月31日付け週刊ダイヤモンドの「人口減少が続く社会になっても２％の経済成長は可能だ」（東京大学大学院経済学研究科の吉川洋教授）などはその典型で、労働生産性の向上や人的資本の活用で克服できると論じている。 　こうした楽観論にはなんの根拠もない。企業はすでにグローバル競争のなかで労働生産性を上げる努力を続けている。人口減少時代に入ったからといって急に労働生産性が高まることはあり得ない。国民の高齢化はさらに進む。「これまで以上の労働生産性の向上」とは絵に描いたモチに過ぎない。 　高齢者の活用を提案する論も非常に多いが、その多くは高齢者自身からのものだ。高齢者がいつまでも企業や組織の最前線にとどまり続ける状況は、若い世代の台頭を阻害し、社会の活力を損なう恐れもある。 　一方、40歳代以下の世代は、人口減少時代について、より真剣に危機感を持つ人が多いようだ。移民の受け入れなど積極的な人口減少の歯止めに対して肯定的な意見が多い。そもそも、少子高齢化によって人口が継続的に減少するのは日本が世界の歴史の中で初めてだ。「実は誰も予測できない」というのが大前提で、「恐れるに足らず」と言い切ってしまうのは無責任でしかない。 　日本のメディアや経済学者たちが頼りにしてきた米国の経済学界は、人口減少論の研究が遅れている。移民による人口増加が確実に見込める米国では、人口減少論の研究の必要がないからだ。 　海図なき人口減少時代の日本は、「イデオロギー対立の時代」から「世代対立の時代」に突入するのではないか。1960年生まれ以降の世代は、年金を納めた額より受給額が目減りし、59年生まれ以前は受給額の方が多い。ここに決定的な分水嶺がある。 　若い世代としては「選択的移民制度」など、人口減少に対する抜本策を真剣に考えていきたい。...</description>
<guid isPermaLink="false">198@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>森　摂</dc:subject>
<dc:date>2006-01-01T03:18:52+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>食うべきか食わざるべきか　～ユダヤ教の食事規定～</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000197.html</link>
<description>ユダヤ教の食事規定 イスラエルにもこの10年ほどでファーストフード店が軒並み開店したが、そのほとんどには「カシェル」と書かれた看板がかけられている。東欧系ユダヤ人は「コーシェル」とも呼ぶ。これらの店舗ではチーズバーガーやミルクシェーキといったものが一切販売されていない。これはユダヤ教の食事規定、カシュルートに従っているからである。 ユダヤ教徒は何を食べてはならないかは旧約聖書のレビ記などにくわしく記されている。たとえば獣の類ではひずめが割れていて反芻するもの、とある。禁忌の代表的な家畜である豚はひずめは割れているが反芻はしないので食べることは許されない。牛はひずめが割れていて反芻するので食べることができる。 また、海にすむものではひれがあってうろこがあるものとされており、魚類は食べられるが蟹、海老、貝などは禁止されている。 そのほかにも死肉や血抜きをされていない肉も禁止されており、肉類と乳製品をいっしょに食することも禁じられている。これは旧約聖書に３回に渡りに母やぎの乳でその仔やぎを煮てはならない、と書いてあるためだ。（出エ23.19、34.26、申14.21）そのためチーズバーガーはご法度となる。敬虔なユダヤ教徒の家庭では肉製品と乳製品用の食器や流しなども２つ用意され厳密に分けられている。 さらには肉製品を食べた後6時間は乳製品を、乳製品を食べたあと2時間は肉製品を口にしないというほど徹底した宗派の人たちも居る。胃袋の中で肉製品と乳製品が交じり合うことを避けるためである。 屠殺法 このカシュルートはすべて聖書に明記されているわけではなくその後のユダヤ賢者達により細かく注解され規定が加えられていった。家畜を屠殺する際にも決まりがあり、家畜が痛みを感じないように一瞬で屠殺されたものしか規定を満たした食材とならない。 そのためにユダヤ教では屠殺をするショヘットと呼ばれる人がおり、屠殺する訓練を受けている。自分で家畜を飼っている人も食用にする際にはこの屠殺人のところで処理せねば食することができない。 また、聖書の思想では血には命が宿るとされる。そのためユダヤ賢者は肉からは一切血を抜くことを規定した。イスラエルでステーキを食べるとしばしば肉がパサパサしているように感じられるのはこのためだが、最近では血抜きをした後に代用のスープに浸して風味を近づけたりすることもある。 そしてこれらの食材が店頭に並ぶためには各地のユダヤ教教師の協会からなる「ラバヌート」の認定を受けねばならない。これも各協会により規定の度合いが違い、カシュルートにも数段階の差が有る。もっとも敬虔な人々は一番検定基準の厳しいラバヌートの証明印が入ったものしか購入しない。この検査をする人をマシュギアフと呼ぶが、一般のレストランなどでも必ずこの人たちが検査を行う。 現代のイスラエルにおけるカシュルート 今もこの聖書の掟は生活に根付いており、国民のおよそ半数が食事規定をきちんと守っている。そのためにレストランもオーナー次第では食事規定に従わない店を開いても良いが、必然的に顧客が半分になってしまう。また食事規定に従っていない食材は違法扱いされているのが実情で、手に入れにくくするため価格が高くなっている。イスラエルもグルメブームを通りミシュランに掲載されるようなレストランもあるが、悩みの種がこの食事規定となる。 また食事規定を守らない人の中にもある程度は守るとか他のユダヤの掟は守らなくても食事規定だけは守る、といった人が多くいるため規定を守っていないハンバーガーショップでも必ず注文を取ったあとに「チーズをお入れしますか、抜きますか」といった質問があるほどだ。 ワインに対する規定 ユダヤ教ではワインは非常に大事な飲料である。ノアが大洪水の後に陸地に上がり作ったのがブドウ畑で、自分で作ったワインで酔っ払った話が聖書に残っている。それ程古くからのつながりがあり、安息日（シャバット）などの宗教的儀式には必ず赤ワインが供される。一説には神がつくりしブドウから人がワインを作り出した、つまり天地共同の産物であるということで神を賛美するときにふさわしい飲み物であるともいわれている。 しかし、他宗教の祭儀でも赤ワインが用いられたり、中世におけるキリスト教徒のユダヤ迫害においてはユダヤ教徒がキリスト教徒の子供の生き血をすすっているという流言（血の中傷事件）により必然的に赤ワインの扱いにデリケートにならざるを得なかった。このためブドウから作られた飲料は特に規定が厳しく定められている。ワインやブランデーなどは必ずユダヤ教徒が栓を開けたものしか飲むことができない。ワインなどを我々異邦人がプレゼントすることはできるが、栓を開けてはならない。余談だがイスラエルのワインはヨーロッパでも有名な美味揃いなので一度お試しいただきたい。 規定を守ること ユダヤ教には様々な掟があるが、その中でも中心的な掟が食事に関してである。食べるということは人間が生きる上で避けては通れないことであり、日常生活に宗教性を持たせることでその人の生活自身を聖なるものとなすことが規定を守ることに大きな意義をもたせる。 旧約聖書の始めで神は天地創造でまず動植物を作り最後に人間を創造した。そして人間にはこの動植物を治める権利、生殺与奪の権が与えられ食することも許される。 ユダヤの伝承ではなぜ神から権利を与えられた人間のほうが動植物より後から作られたのか、という寓話がある。それは人間が自分より先に創造された動植物に畏敬の念を持ち、尊大になって人間の都合だけで他の被造物を支配しないようにと神が望まれたからだと書かれている。 今日の地球を振り返るとき、異民族にも指標になりえる寓話かもしれない。 福地　波宇郎 http://blog.shaul.ciao.jp/...</description>
<guid isPermaLink="false">197@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>福地波宇郎</dc:subject>
<dc:date>2005-11-07T19:19:09+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>正しいLOHAS 怪しいLOHAS</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000196.html</link>
<description>　先週発売の週刊東洋経済（05年10月１日号）で、「新しい消費者はここにいる／勃興！LOHASビジネス」と題して特集を組んだ。実はこの見出しは編集部に付けて頂いたもので、私が原稿を出した時には別の仮見出しが付いていた。 　それが「正しいLOHAS 怪しいLOHAS」である。 　私は昨年７月、このブログで「LOHASを知っていますか」というコラムを書いた。健康と地球環境と気を配る新しいライフスタイルとして紹介、LOHAS的な企業としてパタゴニア（米カリフォルニア州）やインターフェイス（ジョージア州）、ストーニー・フィールドファーム社（ニューハンプシャー州）などを取り上げた。 　そのパタゴニアのイヴォン・シュイナード創業者が来日し、時間をくれるというので５年ぶりにインタビューすることになった。その様子も特集の中で紹介しているが、冒頭で衝撃的な言葉が出てきた。 　「パタゴニアはLOHASと関係ない。多くの人たちがLOHASに乗ろうとしているが、その一部は必ずしも真剣ではないと思う。LOHASは単なるマーケティング用語だ」 　彼の言葉が、最近、私がLOHASに対して漠然と抱いていた疑問を一気に確信に変えてくれた。 　私が最初にLOHASを疑問に思ったのは、2006年２月に開港する神戸空港だ。神戸空港ターミナル株式会社が昨年発表したコンセプト概要では「健康と環境を意識した賑わい施設」を目指すとして、「ロハスエアターミナル」を名乗っていた。だが、神戸空港はその必要性の有無をふくめ、巨額の公費投入、環境への悪影響を巡って地元で大きな反対運動があったことはよく知られている。そもそも海を埋め立てて作った空港のどこかLOHASなのか、ちょっと違うのではないか、と感じていた。 　取材を進めるに連れ、LOHASを巡る商標ビジネスの動きも加速していたことが分かった。三井物産とトド・プレス社が事業提携し、両社で商標登録の45区分のうち衣食住に渡る41区分を押さえ、近く独占的にビジネスを始めるというのだ。これを聞いて、「NPO」を商標登録した角川書店を思い出した。同社はその後、NPO関係者からの反発があまりにも大きかったため、商標登録を取り下げた経緯がある。 　自分の健康と地球環境に配慮するというLOHASの精神は素晴らしいと思う。だが、一部の表層的な動きがLOHASの価値を損なうとすれば、悲しいことである。「単なるマーケティング用語」にとどまらず、ライフスタイルや消費のあり方を根本から見つめ直すきっかけにLOHASがなってくれることを願ってやまない。...</description>
<guid isPermaLink="false">196@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>森　摂</dc:subject>
<dc:date>2005-10-01T17:37:25+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>真夏の総選挙もそう悪くはない</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000194.html</link>
<description>　真夏の選挙ほど候補者や陣営、政党や関係団体にとって、耐え難いものはない。国政選挙も地方の選挙も同じである。生理的困難さと組織的困難さが重なり合うからである。 　候補者や陣営にとっては、まず生理的な困難さが伴う。真冬の寒さなら防寒着などで何とかしのげるが、真夏の街頭では、暑さを逃れるすべがない。しかし、街頭を避ける訳にはいかない。 　炎天下に選挙カーに乗り窓を開けて手を振り続けていたのでは、車のクーラーはきかない。そればかりか、日本の車は右ハンドルだから、助手席に乗る候補者は顔の左側と左手がより日焼けしてしまう。下手をすると、アイフルのＴＶＣＭのようなことになる。 　体力勝負の戦いになり、特に高齢の候補者にとっては、文字通り命懸けの選挙戦になる。 　真夏の選挙は、候補者や陣営だけでなく、政党や関係団体にとっても、厳しいものがある。お盆と企業や団体の夏休みが重なることから、組織を動かすことが、他の季節とは比べようもないほど難しくなる。 　選挙事務所の立ち上げから運動員の確保、出陣式の手配、支持者や支援団体への支持取り付けとも、多くの困難さが伴う。 　真夏の総選挙は、高齢の候補者や組織票への依存度の高い候補者や政党にとっては、最悪のものである。だから、日本ではこれまで、真夏の総選挙はほとんど行われることはなかった。 　ところで、真夏の総選挙にもいいところがある。組織選挙が難しくなることで、有権者が組織の圧力やしがらみを受けにくくなることである。冷静に個人の判断で投票しようとする有権者にとっては好都合である。 　日本の選挙は長い間、組織と組織票が幅を利かせ、個人後援会や支援組織の規模が候補者の得票数と当落を左右してきた。「地盤」「看板」「カバン」の「３バン選挙」の土台になってきたのは、組織や組織票に依存する体質である。そこから「世襲」や実質的には世襲と同じ「組合（組織）世襲」が生まれてきた。 　組織票とは、大ざっぱに定義すれば、自らの決定を自らの判断によってではなく、他の誰か（組織）に委ねる人たちの投じる票のことである。そうした他者依存の人たちの票が減るならば、真夏の総選挙もそう悪いことではない。（２００５年９月１日記）...</description>
<guid isPermaLink="false">194@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>成田好三</dc:subject>
<dc:date>2005-09-06T00:01:29+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>組織票から個人票の時代へ―貴乃花親方と小泉首相の類似性―</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000192.html</link>
<description>　郵政民営化関連法案の参院での否決によって、小泉純一郎首相が衆院解散・総選挙を決断する前のことである。郵政法案が国会で盛んに論議されていたころ、ＴＶ・ワイドショーの時間枠をほぼ独占する大きな話題があった。 　大相撲・二子山親方の死去によって、突如としてわき起こった「若貴騒動」である。貴乃花親方がやたらとＴＶに生出演し、兄である花田勝氏（元横綱３代目若乃花）や母親への批判を繰り広げた、あの話題である。勝氏が父親の財産放棄を宣言して、話題は下火になったのだから、騒動の原因はやはり財産問題だったのだろう。 　■後援会廃止とサポーター制度の導入 　ところで、若貴騒動では、本筋とは別の問題もワイドショーの俎上に上がっていた。貴乃花親方が語った大相撲と相撲部屋の改革である。その中で、貴の花親方が、部屋（貴乃花部屋）の運営方法を大きく変えたことも話題になった。 　江戸時代からの長い伝統をもつ大相撲と大相撲を構成する基本単位である相撲部屋は、「タニマチ」と呼ばれる有力後援者が提供する巨額の資金によって成り立ってきた。少数の有力後援者が金も口も出して、部屋の運営（経営）を支えてきたのである。しかし、貴乃花親方はこの伝統的制度を壊してしまった。後援会を解散させ、代わりにサポーター制度を取り入れたのである。部屋の運営経費を「少数から厚く」ではなく、「多数から薄く」集めようというのである。 　大相撲と相撲部屋も、バブルの崩壊後は運営が苦しくなってきた。金も口も出す有力後援者が少なくなったからである。若乃花、貴乃花兄弟の引退後は相撲人気に陰りがでたままである。 　■組織票頼りからと個人票が主役に 　この国の政治は長い間、政治家と官僚、業界との「三位一体」体制で構成されてきた。業界の利害を官僚が調整し、その仲立ちをするのが政治家という関係である。この体制下では本来の主権者である有権者個人の出る幕はなかった。国政選挙も当然ながらこの体制の枠内で行われてきた。業界が業界関係者の票を組織票として集め、それを政治家（政党）に提供する。その見返りとして業界は政治家（政治）と官僚機構から利益を得るという関係である。 　メディアは組織票に属さない票を「浮動票」、近年は「無党派票」と称している。しかし、この用語は一種の差別用語である。まるで支持政党をもたない有権者はまっとうではないとうニュアンスがこの用語にはある。組織票に属さず、その都度個人の判断で投票する。冷戦構造が壊れ、自民党も民主党も基本政策がそれほど変わらなくなった現在では、特定の支持政党をもたない有権者が３分の１程度存在することは、当たり前のことである。 　筆者はこうした有権者が投じる票を「個人票」と名付けている。もちろん、現実には組織票も個人票も厳密に区分けできる訳ではない。有権者の投票行動はその都度微妙に揺れ動いている。しかし、近年の国政選挙では、業界が集める組織票頼りでは選挙に勝てなくなった。組織票の総枠は減り続けている。 　１９９６年の衆院選で小選挙区比例代表並立制が導入されて以来、その傾向がより顕著になってきた。各政党とも「浮動票」「無党派票」を無視できなくなってきたのである。「浮動票」「無党派票」をより多く獲得した政党が選挙に勝つ時代になった。筆者の名付けた個人票が選挙の勝敗を左右する時代に変わってきたのである。 　■「タニマチ」を切り捨てた小泉首相 　戦後の「５５年体制」構築以降、ほんの一時期を除いて常に政権政党であった自民党は、最も組織票に依存してきた政党である。農協など農業団体、ゼネコンから地方の零細企業までに至る建設業界、医師会など医療団体、特定郵便局長やそのＯＢ、家族などによる郵政関連業界―。これら支持団体の組織票が政権政党で在り続けてきた自民党を支えてきた。 　小泉首相が４年前の就任以来続けてきた構造改革は、これらの支持団体の利害とは相容れないものである。公共事業削減政策とその一連の流れである道路公団民営化政策によって、バブル崩壊で致命的な痛手を負った建設業界は構造不況に陥ったままである。小泉内閣の最大の政策課題である郵政民営化は、自民党の最大の支持団体である郵政関連業界の利益とはまったく相反するものである。 　小泉首相は何故、これまで自民党を支えてきた自民党の支持団体の利益とは相反する政策を取ることができたのか。それは、支持団体が集める組織票の限界を見極めていたからである。従来の支持団体が集める組織票頼りでは選挙には勝てない。浮動票、無党派票と呼ばれた個人票をターゲットにしなければ、選挙には勝てないと判断しているからである。小泉首相もまた貴乃花親方と同様に、「タニマチ」票ではなく個人票に自らの命運をかけたからである。 　今回の総選挙で最大の焦点は、従来の支持団体とそれに同調する衆院議員を切り捨てて、個人票にかけた小泉首相の戦略が成功するか否かということである。成功すれば、自民党だけでなく野党も変わる。政治自体が変化する。そうならなければ、個人票が政治の枠組みづくりに関与できないという、この国の政治構造は変化しないまま継続するこになる。 　■貴乃花親方と小泉首相の類似性 　貴乃花親方と小泉首相には多くの類似性がある。ともに所属する世界では変人扱いされている。ともにその世界で頂点を極めている。ともにその世界では人気者である。そして、２人は決定的場面であいまみえている。曙との本割で力士生命にかかわる深手を負ったまま臨んだ優勝決定戦で再び曙を下して、鬼の形相をあらわにした貴乃花と、その直後の表彰式で「痛みに耐えてよくがんばったっ」と讃えた小泉首相である。あの瞬間から貴乃花にとっては苦難の連続休場の道が続いた。あの瞬間から小泉首相にはそれまでの首相にはない、個人の意志をストレートに表現する首相というイメージが定着した。 　大相撲と相撲部屋も改革が迫られている。しかし、貴乃花親方の改革案は相撲界では理解は得られないだろう。その理由は、貴の花親方は相撲協会の理事ではなく、一人の部屋持ち親方にすぎないこと、もう一つは改革案実現への戦略性がないことである。小泉首相はいいまもこの国の最高責任者の地位にある。貴乃花親方にはない戦略性もある。２人の改革者どこでまた交わり、またどこで離れていくのだろうか。（２００５年８月２３日記）...</description>
<guid isPermaLink="false">192@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>成田好三</dc:subject>
<dc:date>2005-08-26T12:00:30+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>清原、松坂の直球対決は名勝負ではない</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000190.html</link>
<description>　２００５年のプロ野球オールスター戦で、球界の「名勝負」がまたひとつ誕生したと、スポーツメディアが報じている。パ・リーグを代表する好投手、松坂大輔（西武ライオンズ）と、今シーズン５００号本塁打を達成した清原和博（読売巨人軍）との直球対決である。しかし、この直球対決は、スポーツメディアが興奮気味に伝えるような「名勝負」、あるいは「美談」なのだろうか。 　第１戦が行われた７月２２日のインボイス西武ドーム。パ・リーグの先発投手、松坂とセ・リーグの四番打者、清原との対決には、事前にある取り決めが成立していた。清原は松坂に全球とも直球での勝負を要求した。松坂も清原の要求に応じた。この間の経緯は、スポーツ新聞などが詳しく報道していた。 　松坂は事前の取り決め通り、清原に対して直球しか投げなかった。第１打席は清原がドームの天井を直撃する先制タイムリー安打を放った。第２打席は松坂が３球三振で清原をしとめた。２打席、計７球の直球対決を、スポーツメディアは球史に残る「名勝負」とはしたてた。清原の要求に応じた松坂の心意気を褒めたたえる論調も多かった。 　しかし、この直球対決は「名勝負」でも「美談」でもない。プロ野球選手としてもう後がない清原が直球勝負の「美学」にこだわるのは勝手だが、清原の要求に応じた松坂と、この対決を「名勝負」「美談」と褒めたたえるメディアは、決定的に間違っている。 　清原が松坂に対して直球勝負を望んだのなら、黙って（２人だけの了解のもとに）そうすればいいことである。メディアを通して公言すべきことではない。松坂も黙ってそうすればいいだけである。 　あるいは、清原と松坂がどうしても直球対決をしたかったならば、オールスター戦とは別のステージで、例えばホームラン競争のようなエキシビションとして行えばいいことである。 　団体球技でありながらも、野球は投手と打者との対決が基本である。投手と打者との１対１の格闘技敵要素をもつ。そのことがサッカーやバスケットボールなど他の団体球技との決定的な違いである。 　投手と打者との１対１の対決において、投手はあらゆる手練手管を駆使して打者を封じようとする。変化球もその目的で生まれた。タイミングをはずさなければ、どんな速い速球でも、球速に慣れた打者には打ち返されてしまうからだ。打者も、投手の手練手管に対応するため、あらゆる試行錯誤を繰り返す。そこにこそ、他の団体球技とは違う、野球の醍醐味がある。 　ここで清原と松坂との直球対決に話を戻す。事前に直球勝負という取り決めがあれば、打者有利になるのは明らかである。投手がどうやって打者を封じるかという、野球の最も基本的な楽しみを観客から奪うことにもなる。そればかりか、この取り決めは、投手にとっては、打者ばかりでなく相手チームを利する行為にもなる。 　サッカーに例えればこういうことになる。攻撃側がサイド攻撃はしない、相手ディフェンスの裏にパスは出さないと取り決めて、事前にその取り決めを公表したらどうなるか。ディフェンス側がボールを奪ってもカウンター攻撃をしないと取り決めて、事前にその取り決めを公表したらどうなるか。 　ボクシングでいえば、一方だけストレートしか打たない、ジャブやフック、アッパーカットは封印すると事前に公言して試合に臨んだらどうなるか。ともに、そんな設定では試合は成り立たない。 　清原は今シーズン、５００号本塁打を前に足踏みしていた４月に、阪神タイガースの藤川球児投手の変化球（フォークオール）攻めに苛立って、相手投手を誹謗する卑猥な暴言を吐いたとメディアは伝えている。 　松坂も、公式戦や日本シリーズが舞台ならば、清原の要求には乗らなかっただろう。球団も選手のそうしたわがままを許すはずもない。オールスター戦はお祭りであり、ファンも清原の要求した直球勝負を喜ぶ、パ・リーグも話題づくりとして歓迎するはずだ。そう考えた末の行為だろう。 　松坂は早ければ来シーズンにも米国ＭＬＢに活躍の場を移すだろう。しかし、清原の理不尽な要求にやすやすと応じたメンタリティーを考えると、松坂の将来に不安を感じてしまう。松坂がＭＬＢで成功するためには、清原の要求を断固として拒絶するメンタリティーが必要になる。（２００５年７月２４日記）...</description>
<guid isPermaLink="false">190@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>成田好三</dc:subject>
<dc:date>2005-07-28T12:53:27+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>ペンギンのように、列をなしてでもみたい映画。</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000189.html</link>
<description>　とぼとぼと、身体を揺らしながら歩く皇帝ペンギンたち。映画「March of the Penguin（邦題：皇帝ペンギン）」に登場するペンギンたちは、ふくよかな体に、凛々しい嘴、つぶらな瞳を持った愛らしい生きものだ。映画の冒頭、ナレーションはこう語る。「この皇帝ペンギンたちが、毎年旅する方角にはこれといった道はなく、彼らは太陽との距離と自分たちの位置を確かめながら進んでいるのか、あるいは何世紀も続く大名行列によって、彼らにしか見えない道が敷かれているか、そこは謎である」と。確かに、カメラが映しだす映像からは、３６０度のパノラマに、広大な氷の大地が続いているだけである。日が沈み、また日は昇り、来る日も来る日も歩いて進むペンギンたちが、決まった時期に、マイナス４０度の世界のたった一つの場所に、南極中から集まってくるのは、本当に「Amazing」としか言いようがない。 　アメリカ版「March of the Penguin」は、フランスや日本版が親子の会話によって構成されているものと異なり、名俳優／モーガン・フリーマンが淡々と、そしてじっくりと、このペンギンたちの生き様を語っていく。映像の中に「作りごと」はない。そこで生きるペンギンたちも、そしてこの映画を撮影した、動物行動学の研究者である監督、リュック・ジャケ氏と３人の仲間も、真剣に自然と闘ったのである。吹雪の激しさに目を見張り、美しいオーロラに心を奪われ、太陽の暖かさに感謝し、そして厳しい自然の条理の中で、新たに生まれた命の生命力に驚かされる。８０分の映像内にふんだんにちりばめられている「真実」。「人間に生まれてきてよかった」、と思わずこぼしてしまうぐらい、弱者に対して厳しい自然。自分が南極にいるかのように、すっかり映像に魅せられてしまった。 　ハリウッドでは、この初夏話題作が目白押しの中、興行収入的に大成功を納めている作品はないと言われている。そんな中、出演者「数千の皇帝ペンギン」だけ、という予算８０００万ドルで作られたフランスのドキュメンタリー映画が、徐々にここカリフォルニアの映画ファンを魅了しはじめている。ボックス・オフィスによれば、６月最終週の週末だけで、スクリーンに対するチケットセールスは、他のどの映画よりも高い＄26,269で、同じ週末に第一位となった映画「War of the World」の$19.719を優に$5,000以上引き離した結果となったのだ。ロサンゼルスでは３館しかこの映画を上映していないこともあり、今や映画を見るために、人間たちが列を成して集まって来ている。まるで皇帝ペンギンたちのように。...</description>
<guid isPermaLink="false">189@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>寺町幸枝</dc:subject>
<dc:date>2005-07-12T14:26:42+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>路傍の外国　～露店商人の実態～</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000175.html</link>
<description>ネオンが輝き雑踏ひしめく繁華街の路上で働く外国人達。 その中でも目を引くのは露天商の姿である。所狭しと並べられたアクセサリーや偽ブランド商品。中東系とも欧米系ともつかない顔立ちの外国人が片言の日本語で客に説明をしている。 このような光景を見たことがある人も多いのではないだろうか。彼らは「バスタ」と呼ばれる露店商人でその殆どはイスラエル人である。　警視庁の統計によると昨年検挙された偽ブランド販売事件中、4割が路上販売によるものだ。検挙者の7割が外国人であり、その7割中さらに9割がイスラエル人によるものである。つまり外国人露天商はほぼ全員がイスラエル人ということになる。 新宿、歌舞伎町界隈。夜もふける頃にはJR東口へと延びる路上に客引きや様々な露店が姿を見せる。その中で偽ブランド商品を売っている外国人女性を見つけた。ためしに客を装って話かけてみた。 ―このヴィトンの財布って本物？ ―うーん、ホンモノ、、、っぽいネ。 　スーパーコピー、あまり違ワナイ。 ―で、いくら？ ―4千円。ケド3千円でもイイ。 しばらくやりとりを続けながら話をしていると、買わなくても別にいいから話をしようということになった。最近は露店で買う人も少なくなりヒマを持て余しているらしい。彼女はイスラエル地中海北部にあるハイファという町から観光目的でやってきた。イスラエルでは高校までが義務教育でその後、男も女も徴兵で軍隊に行くという。男は36ヶ月間、女は20ヶ月間というから決して短い期間ではない。その後、それぞれ就職や大学へと進むわけだが、その前に卒業旅行ならぬ除隊旅行というのが流行っており世界中を旅するのだそうだ。露店の売り子をしているのは旅費を稼ぐためだ。仕事を始める際にはエージェントがいて露店一式と商品、さらには寝泊りするアパートや移動用の車までがすべてセットで用意されているという。 「でも最近は警察も厳しいしあまりお客さんも買ってくれないし。友達は一杯できるからそれでいいかな、とかも思ってるけど。」 　彼女の話ではこの仕事を始める時は簡単で大もうけができるといわれたらしい。日本での露天商はすでに20年程前から存在しており、特にバブルの頃には一晩で100万近い売上を記録したイスラエル人もいるという。そんな伝説が今もイスラエルでは語り継がれており、日本に行けば旅行しながらお金が稼げる、と信じられているという。 あまりにも普通に街中に溶け込んでいる彼らだが、その背後のエージェントとはいかなるものなのか。彼女から別の露天商を紹介してもらった。同じくイスラエルから旅行で来ており、上野で店を開いているということだった。アメ横入口でそれらしき人物を見つけたので話をしてみると、名前は明かせないので仮に「ジョージ」と呼んでくれ、とのことだった。やはり売っている本人達も違法行為であるということはよく分かっているらしい。 　ジョージに更に詳しいことを教えてくれないか頼んでみると最初は渋っていた。奢るから飲みながらでも話をしようじゃないか、というとようやく承諾してくれる。 「いや、教えてもいいんだけどさ。バックに結構ヤバイ連中がついてるから俺もマズいんだよね。バレると。」 そう前置きするとシステムを説明しはじめた。彼によれば露天商を始めるには二つの方法があるという。 一つ目はイスラエルにいる時点で売り子として契約するやり方。これは新聞広告などで日本へ行く人、仕事アリという募集が出ているという。 二つ目は日本に来てからすでに露天商として働いているイスラエル人の紹介で始めるケースだそうだ。 いずれの場合にしても、そのバックにはイスラエルマフィアのシンジケートがあり、彼らが全て統括しているという。路上で店を開くにあたり、ヤクザへの場所代などもシンジケートからすでに支払われているのでヤクザとのトラブルは一切ないという。 「はっきりいって稼ぎになんかならないんだよ、この仕事。上納金がハンパじゃないからな。」 やはりそんなに旨い話があるわけではないらしい。住居や仕事道具、車は支給されるが光熱費、食費はもちろん自分持ち。さらに売上げから決められたパーセンテージの上納金を引かれていく。その内訳は、アクセサリー類が売上の６０%、偽ブランド商品は７５%が持っていかれるという。その上警察のマークは年々厳しくなっており検挙者の数も毎年増えつづけている。 「各地域にボスがいるんだ。連中はとっくに滞在ビザなんか切れてるから売り子なんかしない。普通、売り子はビザが残ってる入国３ヶ月以内の旅行者だけだよ。オレは韓国に出てビザを新しくしているから問題ないけどな。」 　　 なぜイスラエル人がこの仕事についているのか訊ねてみた。彼が言うには幾つか説があるらしいのだが、バスタという露店システムはイスラエルのゲノサレという農村に住んでいた男性が世界旅行をした際に考え出したとされている。それ以来、東南アジアで安くアクセサリーを仕入れ、高く売れる日本で売りさばく形が定着したらしい。最初はアクセサリーだけだったがこの数年で偽ブランドも取り扱うようになった。 露天商の取締りが厳しくなったのにも理由がある。あまりに横行する偽物にとうとうブランド側が腰を上げたのだ。その中で最も被害を被っているルイ・ヴィトンとロレックスの日本支社が正式に被害届けを出した。偽ブランド商品販売はイスラエル人の担当だが生産や輸入などにはタイや韓国ルートも絡んでいると見られ背後には大掛かりな組織があるとされている。最近では時計は部品のみ仕入れ日本国内で組み立てられているという情報もあり、実際に神戸では偽ロレックスの組立工場が摘発されている。 「売ってる俺が言うのもなんだけどさ、こんなん買うのは世界中でも日本人だけだよ。他の国じゃ絶対買わない。欲しいヤツがいるから売るヤツもいる。ただそれだけだよ。」 ジョージは別れ際にそう言った。実際にフェイクとはいえ時計はロレックスタイプで１万５千円から２万５千円、ヴィトンのボストンバックは１万５千円前後で売られている。偽物にこれだけの金額を出すのが信じられないというのが本音だろう。 検挙者が増えているにも関わらず日本への入国者や露店で働くものが後を絶たない理由には国内情勢も関係している。２０００年９月から始まったパレスチナとの新たな武力抗争の時代を軍隊で過ごしたトラウマからしばらくイスラエルを離れたい、という人もいる。また長引く情勢不安によりイスラエルも不景気となり就職難でもある。 売り子たちに提供されるアパートや車は代々引き継がれていて基本的に３ヶ月サイクルで売り子は交代する。日本でまとめ役をしているものの中には日本人と結婚し、すでに長期間日本に暮らしているものも多いそうだ。警察も全貌を掴もうと内偵を続けているが捕らえられるのは現行犯の売り子までだ。売り子たちも与えられた役割以上の情報は持っていないため組織上部の検挙にはつながらない。 とはいえ都内では監視の目が厳しくなったこともあり、最近では千葉や埼玉などの副都心で店を開くケースも多くなっている。東京の小岩や千葉の花見川区に売り子たちが住んでいるアパートも確認されている。彼らが捕まった場合、ほとんどが罰金刑に処せられる。罰金の額は商標法違反では50万円以下と定められているが、実際に課せられる額は20万から30万が相場となっている。偽物は売った方だけではなく偽物と承知して買った方も同じ罪に問われる。 極東を一目みたいとやってくる異邦人たち。そのネットワークを利用して荒稼ぎする黒幕。そしてその舞台を提供する面白半分に偽物を買う人々。不夜城東京の片隅で露天商は今や街の風景と同化している。昨年、イスラエルで若者にとったアンケートでは行きたい国トップ１０に日本が入っていた。イスラエル人露天商が途絶える日はまだ当分なさそうだ。 月刊誌「オレまる」創刊号掲載記事（一部改変）...</description>
<guid isPermaLink="false">175@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>福地波宇郎</dc:subject>
<dc:date>2005-06-07T18:39:02+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>フランスとドイツ、共通の歴史教科書作成へ</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000174.html</link>
<description> 今年は第二次大戦終結から６０年目の節目にあたり５月に各国で記念式典が開催されたことは記憶に新しい。また昨年のノルマンディー上陸作戦６０周年の式典でも戦後はじめてドイツのシュレーダー首相とドイツ人退役軍人が招待されたことも話題となった。 そしてフランスとドイツの退役軍人が互いの戦争体験を語り合い、手を取り合う場面がテレビで放映された。彼らは少なくとも７０歳代後半である。このことが画期的であったということは裏を返せば、そのわだかまりがとけるまでそれだけの歳月が必要だったということだ。 いまのフランスの若者たちはドイツに対して特別な感情をいだいているわけではなく、欧州連合の同胞ととらえているが、まだ戦争の記憶をひきずって、ドイツ人をこころよく思っていないフランス人がいることも事実なのである。 戦争で多くの死者がでたことに加えてナチス占領時代のフランスではユダヤ人迫害に手をかしたフランス人も多かったのだ。ルイ・マル監督の映画『さよなら子供たち』はある転校生と級友とのつかの間の交流を描いたものである。 その転校生はユダヤ人で何とかそれをごまかそうとしていたのだが、調理場で働く少年によってゲシュタポに密告されてしまう。３人のユダヤ人少年たちと神父が連れ去られる場面は幾度見ても胸が苦しくなる。これは実話であるが、こういったことはフランス全土で起きたことなのである。 そんな苦い記憶を乗り越えてフランスとドイツで共通の歴史の教科書を使うことが検討されている。このプロジェクトは２００３年のエリゼ協定４０周年時に発足し、０７年秋からこの教科書の導入が開始される。 ８人の歴史家（各国４人）が概略を話し合い、高校生用に３冊の歴史教科書を共同執筆するのである。共通部分は４分の３で、残りはそれぞれの国で異なる。はじめに使用されるのは、ヨーロッパクラスのバイリンガルコースと海外にあるフランスの高校でまだはっきりとした数字はわからないが１万冊以上になる見込みである。これは強制ではなく教師はこの教科書以外のものを選択することも可能である。 欧州連合が拡大しつつある中で、フランスとドイツの連携は必須である。「ヨーロッパ市民として共通の歴史認識を持つ」というこのプロジェクトの意義は大きいといえるだろう。...</description>
<guid isPermaLink="false">174@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>市絛三紗</dc:subject>
<dc:date>2005-05-24T00:32:25+09:00</dc:date>
</item>
<item>
<title>日本男児への挑戦状</title>
<link>http://www.ufpress.jp/archives/000169.html</link>
<description>男性ファッション雑誌Mには、毎号「ファションスナップ」というページがある。撮影会が実施される場所は誌面で事前告知され、毎回スナップのモデルを選ぶ担当「スタイリスト」の名前も公表される。そして選りすぐりの「一張羅」を着込んだ少年／青年たちは集合するのである。彼らにとって雑誌のファッションページに載るというのは、自分のおしゃれ度を証明する手段なのだ。東京・原宿の表参道と明治通りの交差点では、高い頻度でこのような雑誌関係の撮影隊による「キャッチ」が行われているのだが、このあたりで働き始めたばかりの若いショップスタッフは、休憩時間の度に足しげくこのあたりへ向かい、必要以上に行ったり来たりしたりして、声がかかるのを待っている。 女の子版「キャッチ」をしていた経験を振り返ると、４、５年前は、いわゆるCやJから始まる某雑誌から声がかかるのをまっている「私を見て！素敵でしょ！」と言わんばかりの女の子が街にあふれんばかりだったと記憶している。ところが今では、「視線」を気にするのは女の子ではなく、むしろ男の子たちのようなのだ。 ところが、この男の子たちはなんだか「美しくない」のである。汚いというか、清潔感にかけるというか、なんだかシャキっとしてないのである。彼らはどこの国の男の子よりも、「高額な」アイテムを身に付け、貪欲なまでに気に入ったブランドを追い求めるというのに、その結果が「素敵でない」。なんとも残念な話だ。日本女性たちが、ブランドに走っても、その美しさにかける「気合い」と「一途なこだわり」から、今では世界から＜一番おしゃれな子たち＞と認められるところまできたにも関わらず、日本男児の評価はあまり耳にしない。このままでは日本女性の興味でさえ、「韓国男児」へ移ってしまうかもしれないというのに。 「だらしなさ」。その一言にすべてが集約されているように思う。服に着られている人の多いこと。「自分」を表現するためのツールとして、ファッションを使いこなすところまでいっていないのである。ファッションは、話し方、歩き方、考え方、生き方全てに結びついてくる。自己表現だけでも十分でなく、また単純に服を知っているだけでも不十分。それは流行の髪型とか、流行のブランドに精通しているからと驕るのもおかしいのであって、自分はおしゃれに興味がないからといって、何も考えずにろくに洗濯もしないで身近にあるものを着ている人と結局何も変わらないのである。ブランド品に走ってもいい、眉毛を手入れしてもいい。ただシェル（外側）を手に入れても、見合うだけのコンテンツ（中身）を持たなければ、宝の持ち腐れである。白須次郎やジェームス・ディーンの白いTシャツと履き馴れたデニム。それはまさに身も心もおしゃれである人の、自分のあるべき姿を「意識」しているというところから生まれた、究極の清潔さに基づくおしゃれであって、現代日本の若者はむしろ余計なものを着込みすぎているのかもしれない、と感じる今日この頃なのである。...</description>
<guid isPermaLink="false">169@http://www.ufpress.jp/</guid>
<dc:subject>寺町幸枝</dc:subject>
<dc:date>2005-04-21T14:40:40+09:00</dc:date>
</item>


</channel>
</rss>
