ufp > Features > ラスベガスからの手紙
ラスベガスからの手紙――アメリカよ。そこをどう経営しているのか?
ガイジンと商談が前進する瞬間
長野慶太
極論すると、ガイジンという言葉は米語にはない。国際商談の誤解の多くはそこから始まっている。
二つの映画を観た。一つは「ロストイントランスレーション」。もう一つは「ビフォア・サンセット」だ。どちらも外国を歩くアメリカ人を撮っている。
一つは東京、そして一つはパリである。東洋と西洋の違いが大きいことに異論はない。しかし、どちらも大都市である。マクドナルドもあれば、公共交通機関に困ることもない。
ところがこの映画に映る東京の異国情緒の強烈さに比べ、パリは映画を見たあとはほとんどパリの印象が残らないほどに薄い。
その違いは、都市ではなく、映画で展開された「文化の翻訳」度合いだ。
両方の主人公もそれぞれ英語しか喋らない設定だ。通訳はいる。しかし前者では言葉の向こうにある文化が通訳されていないことに主人公も気がつき、途方に暮れるあたりから東京が他の惑星のように見えてくる。
一方で、パリではカフェでの給仕とのやりとりやリムジンの運転手とのやり取りに、バイリンガルの友人が完璧に間に入って文化の差異など感じさせる場面を与えないために、主人公にはほとんどストレスがない。パリがまるで米国東部の歴史ある都市のようにさえ私には見えた。
このことはアメリカ人の国際ビジネスへの態度をよくあらわしている。
アメリカ人の場合は、日ごろたくさんの外国人を自国に抱えているから、ガイジンという意識は基本的にない。実は多くの州の会社法では他州の会社をForeign Corporationという。つまり自分の州の境を越えたらそれは他州も外国も意識としては同じForeignなのだ。
そんな環境では、外国、内国の差別はなく、英語を用いてスムーズな対話に努力するのがルールだ。だから文法や単語の違いをいちいち指摘する人は少ない。英語さえ話せれば東京でもパリでもNYでも商談はスムーズにいくはずだと信じて乗り込んで来る。一方で日本人は、ガイジンと初めから割り切って商談に臨んでいるから、多くの場合、お手並み拝見するまで意思表示を極端に控えがちだ。
こうして実際の商談になると、立派な英会話が成立しているのに、双方が大きく戸惑う。言葉は同じでも通じ合えない。
アメリカ人もそこで初めて、問題は言葉ではなく、言葉を発想させる文化背景の差異なのだと気づく。日本人も、ガイジンだからと意思表示を控えていると相手がストレスを感じるのだと理解する。
その違いを感じあえた時からやっと商談が前進する。
ビジネス誌「財界」連載中
5/3/2005号より転載
最新コラムは本誌をご覧ください
筆者:長野慶太
対米進出コンサルタント。ラスベガス在住。ネバダ・ジャパン・コンファレンス(www.usjapan21.com)社長。1965年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井銀行入社。ラスベガスの法律事務所Woods
& Erickson勤務ののち、起業。大石&荻原 国際会計事務所社長。講演多数。近著に「ラスベガス 黄金の集客力」 (ダイヤモンド社刊)等がある。
