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ラスベガスからの手紙――アメリカよ。そこをどう経営しているのか?
ちょっと変だぞ。米国「署名文化」
長野慶太
おやっと思った。
ラムズフェルド国防長官がバッシングを受けている報道だ。彼は、イラク戦争で大量破壊兵器が見つからない見通しとなってからメディアや民主党から批判の標的にされてきた。それが、今回は身内の共和党の議員からも非難を受けている。イラクで戦死した千人を超える兵士の遺族に宛てた手紙の署名を「印刷の署名」で手を抜いたと非難されている。
ちょっとおかしな批判だ。ハンコを用いないアメリカの行政やビジネス社会では「印刷された署名」の多用はすっかり根づいているはずだった。
たとえば筆者の住むネバダ州で会社を設立すると、州の総務長官の署名した立派なカラー刷りの登記証明書が送られてくる。長官のサインがちゃんとある。もちろん「印刷」である。文句を言う人など誰もいない。
遺族相手だから議論がエモーショナルになったのだという解釈が妥当なところであろう。しかしどんな理由にせよ「印刷署名」を否定することは署名社会そのものを否定することになる。
たとえば日本ではサッカー、競艇、相撲など、総理大臣杯と名のつくものが無数にあるが、この表彰状をいちいち総理大臣に署名させることなどナンセンスだ。
ビジネスの世界でも、社長表彰はハンコだけで十分に嬉しい。
遺族に対して「印刷」がまずくて、社会的弱者や一般国民への通信は「印刷」でいいという議論にはならない。この「印刷」非難の延長には大統領や社長職の意思表示を不当に歪める可能性をはらむ。
圧倒的な情報処理量を求められる現代ビジネスの世界では、ハンコも署名も、そのAuthenticity (真正性)を巡ってはどちらも完璧でないために、その形式要件に加えて実質要件、つまり本当に署名(または押印)する意思があったかどうかの判断が重要である。
形式要件を満たしても、脅迫のもとに交わされたビジネス契約が無効であるのは日米同じだ。
ラムズフェルド長官が自分の意思で手紙を書いたという実質要件さえ疑いがないのであれば、その署名は本来「印刷」であろうと「手書き」であろうと対外効力は同じはずである。
その形式要件にエモーショナルなものを持ち込まないことが署名社会の暗黙のルールではなかったか。これはハンコ社会で言えば、三文判の相手を失礼だと言い立てないマナーのようなものである。
ラムズフェルド長官は、今後はすべてに直筆でサインをすると明言して批判を交わしたと報道されている。
そんなことをさせてどうする。
ビジネス誌「財界」連載中
2/22/2005号より転載
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筆者:長野慶太
対米進出コンサルタント。ラスベガス在住。ネバダ・ジャパン・コンファレンス(www.usjapan21.com)社長。1965年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井銀行入社。ラスベガスの法律事務所Woods
& Erickson勤務ののち、起業。大石&荻原 国際会計事務所社長。講演多数。近著に「ラスベガス 黄金の集客力」 (ダイヤモンド社刊)等がある。
