さかぐちとおるの世界B級都市紀行
グアンタナモ(キューバ)
〜国交のない米国の海軍基地がこの近くに存在する〜
さかぐちとおる
![]() チェ・ゲバラの描かれた看板の前を乗合馬車が行き交う。地方都市では乗合馬車は一般的な交通機関で、運賃は5円程度。 |
![]() 太鼓のリズムに合わせて男女で踊るトゥンバ・フランセーサ |
キューバ第2の都市サンティアゴ・デ・クーバから、バスまたは乗合タクシーで2時間。 グアンタナモはキューバで最も東に位置する州で、海峡を隔てた隣国ハイチの影響を受けている。 18世紀の終わりに仏領サント・ドマングで黒人奴隷が武装蜂起し、1803年にハイチ共和国が誕生した。 その動乱を逃れて難民化した多くのハイチ人がキューバ東部に流入し、様々な文化を持ち込んだ。 ほかの都市に比べても黒人が多く、彼らは西アフリカのベニンに祖先を持つハイチ人奴隷の末裔と考えられる。 また道中にはコーヒー畑が見られるが、これはハイチから逃れたフランス人がこの地に再入植し広めたものだ。
州都グアンタナモは基地の街というわけでない
グアンタナモと聞くと、多くの人はアルカイダ兵士の捕虜が収容されている米軍基地を想像するかもしれない。 この基地はグアンタナモ湾の先端にあり、州都グアンタナモからは30キロ以上離れた所に位置する。 グアンタナモ市街にいても米軍基地の影響は、せいぜい米兵向けの娯楽テレビ放送が受信できる程度で、 市民生活への支障はほとんど感じられない。
グアンタナモ基地の歴史は100年に及ぶ。独立戦争の末に米国が介入して、キューバ共和国が誕生したのは1902年。 しかしそれは独立とは名ばかりの米国による傀儡政権で、プラット修正条項というキューバ憲法への付帯事項が加えられた。 この内容の一つに、グアンタナモ海軍基地の建設が盛り込まれたのである。
1959年のキューバ革命にともなって米国との国交が断絶されたが、米軍はこの拠点を手放そうとはしない。 キューバ側としては、相手国の圧倒的な軍事力を前に、声高に国際世論に訴えるほか手段がないのが現状だ。
米軍によるアルカイダ兵捕虜の扱いに関しては、戦争捕虜の人道的処遇を定めたジュネーブ条約に違反するのでは という非難が米国内外から挙がっている。このような非難を退ける意味で、キューバとのねじれの関係にある グアンタナモ基地を使用しているのではないかと考えられる。
さて、この基地はカイマネーラという村に隣接しており、革命前から働いている労働者が、今も10人ほど通勤している。 しかし旅行者がカイマネーラに行くことはできず、キューバ人でさえも村に入ることが許されるのは村民とその家族に限られる。 グアンタナモ基地を見学することはできないのだろうか。その唯一の方法としては、まれに催行されるツアーで、 或いはタクシーを借り切ってグアンタナモ湾を見下ろす丘に行くことだ。この丘の上からは、グアンタナモ基地を遠方に望むことができる。
ハイチの影響が随所に見られる
州都グアンタナモは、人口20万人を有する都市だ。私は3回もこの都市を訪れているが、歴史的建築物など 観光的要素があまり見当たらず、住宅が並んでいるだけの平凡な街並みだ。外国人観光客はほとんど見かけず、 街を歩いているともの珍しそうな目で見られる。ある時、中心部近くの通りで「やあ、元気か」と声をかけられた。 誰かと思うと、前の日にたまたま道を尋ねた人で、親しい友人のような対応をされた。人々はとても親切で、屈託がない。
グアンタナモにはハイチの影響を受けた独特な文化があり、音楽や踊りなどキューバの文化を研究する人の興味を 引き立てるのだ。例えばトゥンバ・フランセーサという踊りがある。ハイチの黒人が持ち込んだ踊りで、 仏領サント・ドマングでフランス人が楽しんでいた宮廷舞踊を黒人が真似て、自分たちの太鼓に合わせて踊るようになったものだ。 複数の太鼓を叩き、変化するテンポに合わせて輪になったり、男女が組んで踊ったりする。
またこの地には、チャングイという音楽がある。キューバには伝統的なソンというポピュラー音楽があるが、 ソンの初期型の音楽だ。ギターなどの弦楽器に太鼓やマラカスなどのリズム楽器が加わって歌う音楽で、 印象としては素朴な田舎の音楽といったところだ。スペインの農民音楽にアフリカの打楽器の要素が入った、 ポピュラー音楽の先駆け的なものであり、現在も語り継がれているグアンタナモ独特の伝統音楽である。
そしてコーヒー栽培もハイチから、フランス人によって持ち込まれた。サンティアゴ州からグアンタナモ州にかけて コーヒー畑が広がっており、この一帯のコーヒー農園発祥地の景観は2000年に世界遺産にも登録されている。 景観だけでなくコーヒーの質も良く、グアンタナモのものはキューバで一番おいしいコーヒーとして知られている。


