2006年02月14日

スピルバーグの新作「ミュンヘン」が呼ぶ波紋

岩下慶一

(AERA 2月6日号から転載)


 「ミュンヘン」は、1972年、PLO(パレスチナ解放機構)ゲリラ「黒い9月」がミュンヘンオリンピックの選手村を襲撃、イスラエル選手団11人全員が死亡した事件を元にしている。映画はイスラエルが報復措置として、テロに関わったPLO関係者全員の暗殺を決定するところから始まる。主人公アブナー(エリック・バナ)を始めとする5人のモサドの精鋭は、潜伏するテロ指導者たちを一人また一人と暗殺していく。ハリウッド最高峰の演出力は遺憾なく発揮され、一級品のアクションスリラーに仕上がっている。批評家からは「スピルバーグの最高傑作」という声も上がるほどの出来栄え。

しかしスピルバーグの本当の仕掛けは、暗殺者とテロリスト双方の人間性を描いた点にある。任務のために妊娠中の妻を残して故国を離れる暗殺者アブナー。読書会を唯一の楽しみとして隠遁生活を送る老テロリスト。過激派という仮面を取れば娘を愛する良き父親であるPLO幹部。立場を超えれば一人の善良な人間である彼らに戸惑いながらも殺戮を続けるアブナーだが、次第に祖国のためという大義名分に疑問を抱き始め、やがて“報復”という行為の意味を見失っていく…。


「暴力連鎖の否定」
映画の真のテーマが911テロからイラク戦争へと続いた“暴力の連鎖”への批判である事は容易に想像できる。アブナーが報復行動の不毛さを口にするシーンで、背景にワールドトレードセンターを持ってきた事からもそれは伺える。しかしスピルバーグの意図とは別に、米国のユダヤ社会から非難の声が巻き起こった。劇中のメイヤ首相の「我々は強い、ということを知らしめなければならない」というセリフ通り、イスラエルは“攻撃には報復”という図式をもって国家の安全を保持してきた。ユダヤ系知識人の代表格であるスピルバーグがこれを否定するような映画を作った事を一種の裏切りと感じたユダヤ人は多い。ユダヤ系ジャーナリスト、チャールズ・クラウサマーは、スピルバーグを“無知蒙昧なハリウッド人間”と切り捨て、イスラエルは「テロ防止を報復にすり替えている」と非難した。

エルサレムポストの批判はもっと直裁だ。「米国政府への直接批判が生む摩擦を恐れたスピルバーグは、賢い事にテーマをミュンヘンテロにすり替えて持論を展開した」
この指摘はある意味当たっているかもしれない。前出のワールドトレードセンターのシーンがそれを裏付けているし、スピルバーグ自身がイスラエル擁護を続けてきた事実や、イスラエルの自衛権を肯定する発言をしている事、何より映画の随所で表現されるイスラエルへの愛情を見ても、批判の真の対象がイスラエルでない事は明白だ。

「テロ抑止のための報復」
ジュイッシュ・ジャーナルのロブ・エシュマン編集長は、自身も含め「映画を興味深く受け止めているユダヤ人も多い」と語る。血なまぐさいパレスチナの現実に辟易しているのはユダヤ人も同じだという。しかし、テロ抑止としての報復措置を肯定する考えは、これらリベラル派ユダヤ人にも依然として強い。「日本のような平和な国家と違い、バスの爆破や空港での銃撃と常に隣りあわせの国では抑止力としての報復は必要だ」あるユダヤ系米国人は言い切る。
エシュマン氏も報復の有効性を信じる一人だ。「日本の裁判所がサリン事件の麻原彰晃に死刑判決を下したのはなぜか。犯罪抑止という意味ならば収監しておくだけですむ。犯した罪の重大さを知らしめるための死刑である筈だ」

シャロン首相が脳梗塞で倒れた今、パレスチナ問題が新たな局面を迎えるのは必至だ。スピルバーグが同胞からのバッシングを覚悟で「ミュンヘン」に込めた思いは、彼の地でどのように受け止められるのだろうか。
(岩下慶一 ユナイテッド・フィーチャー・プレス)

投稿者 岩下慶一 : 2006年02月14日 13:04 | [EDIT]

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