2005年09月06日

真夏の総選挙もそう悪くはない

成田好三

 真夏の選挙ほど候補者や陣営、政党や関係団体にとって、耐え難いものはない。国政選挙も地方の選挙も同じである。生理的困難さと組織的困難さが重なり合うからである。

 候補者や陣営にとっては、まず生理的な困難さが伴う。真冬の寒さなら防寒着などで何とかしのげるが、真夏の街頭では、暑さを逃れるすべがない。しかし、街頭を避ける訳にはいかない。

 炎天下に選挙カーに乗り窓を開けて手を振り続けていたのでは、車のクーラーはきかない。そればかりか、日本の車は右ハンドルだから、助手席に乗る候補者は顔の左側と左手がより日焼けしてしまう。下手をすると、アイフルのTVCMのようなことになる。

 体力勝負の戦いになり、特に高齢の候補者にとっては、文字通り命懸けの選挙戦になる。

 真夏の選挙は、候補者や陣営だけでなく、政党や関係団体にとっても、厳しいものがある。お盆と企業や団体の夏休みが重なることから、組織を動かすことが、他の季節とは比べようもないほど難しくなる。

 選挙事務所の立ち上げから運動員の確保、出陣式の手配、支持者や支援団体への支持取り付けとも、多くの困難さが伴う。

 真夏の総選挙は、高齢の候補者や組織票への依存度の高い候補者や政党にとっては、最悪のものである。だから、日本ではこれまで、真夏の総選挙はほとんど行われることはなかった。

 ところで、真夏の総選挙にもいいところがある。組織選挙が難しくなることで、有権者が組織の圧力やしがらみを受けにくくなることである。冷静に個人の判断で投票しようとする有権者にとっては好都合である。

 日本の選挙は長い間、組織と組織票が幅を利かせ、個人後援会や支援組織の規模が候補者の得票数と当落を左右してきた。「地盤」「看板」「カバン」の「3バン選挙」の土台になってきたのは、組織や組織票に依存する体質である。そこから「世襲」や実質的には世襲と同じ「組合(組織)世襲」が生まれてきた。

 組織票とは、大ざっぱに定義すれば、自らの決定を自らの判断によってではなく、他の誰か(組織)に委ねる人たちの投じる票のことである。そうした他者依存の人たちの票が減るならば、真夏の総選挙もそう悪いことではない。(2005年9月1日記)

投稿者 成田好三 : 2005年09月06日 00:01 | [EDIT]

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