2005年07月28日

清原、松坂の直球対決は名勝負ではない

成田好三

 2005年のプロ野球オールスター戦で、球界の「名勝負」がまたひとつ誕生したと、スポーツメディアが報じている。パ・リーグを代表する好投手、松坂大輔(西武ライオンズ)と、今シーズン500号本塁打を達成した清原和博(読売巨人軍)との直球対決である。しかし、この直球対決は、スポーツメディアが興奮気味に伝えるような「名勝負」、あるいは「美談」なのだろうか。

 第1戦が行われた7月22日のインボイス西武ドーム。パ・リーグの先発投手、松坂とセ・リーグの四番打者、清原との対決には、事前にある取り決めが成立していた。清原は松坂に全球とも直球での勝負を要求した。松坂も清原の要求に応じた。この間の経緯は、スポーツ新聞などが詳しく報道していた。

 松坂は事前の取り決め通り、清原に対して直球しか投げなかった。第1打席は清原がドームの天井を直撃する先制タイムリー安打を放った。第2打席は松坂が3球三振で清原をしとめた。2打席、計7球の直球対決を、スポーツメディアは球史に残る「名勝負」とはしたてた。清原の要求に応じた松坂の心意気を褒めたたえる論調も多かった。

 しかし、この直球対決は「名勝負」でも「美談」でもない。プロ野球選手としてもう後がない清原が直球勝負の「美学」にこだわるのは勝手だが、清原の要求に応じた松坂と、この対決を「名勝負」「美談」と褒めたたえるメディアは、決定的に間違っている。

 清原が松坂に対して直球勝負を望んだのなら、黙って(2人だけの了解のもとに)そうすればいいことである。メディアを通して公言すべきことではない。松坂も黙ってそうすればいいだけである。

 あるいは、清原と松坂がどうしても直球対決をしたかったならば、オールスター戦とは別のステージで、例えばホームラン競争のようなエキシビションとして行えばいいことである。

 団体球技でありながらも、野球は投手と打者との対決が基本である。投手と打者との1対1の格闘技敵要素をもつ。そのことがサッカーやバスケットボールなど他の団体球技との決定的な違いである。

 投手と打者との1対1の対決において、投手はあらゆる手練手管を駆使して打者を封じようとする。変化球もその目的で生まれた。タイミングをはずさなければ、どんな速い速球でも、球速に慣れた打者には打ち返されてしまうからだ。打者も、投手の手練手管に対応するため、あらゆる試行錯誤を繰り返す。そこにこそ、他の団体球技とは違う、野球の醍醐味がある。

 ここで清原と松坂との直球対決に話を戻す。事前に直球勝負という取り決めがあれば、打者有利になるのは明らかである。投手がどうやって打者を封じるかという、野球の最も基本的な楽しみを観客から奪うことにもなる。そればかりか、この取り決めは、投手にとっては、打者ばかりでなく相手チームを利する行為にもなる。

 サッカーに例えればこういうことになる。攻撃側がサイド攻撃はしない、相手ディフェンスの裏にパスは出さないと取り決めて、事前にその取り決めを公表したらどうなるか。ディフェンス側がボールを奪ってもカウンター攻撃をしないと取り決めて、事前にその取り決めを公表したらどうなるか。

 ボクシングでいえば、一方だけストレートしか打たない、ジャブやフック、アッパーカットは封印すると事前に公言して試合に臨んだらどうなるか。ともに、そんな設定では試合は成り立たない。

 清原は今シーズン、500号本塁打を前に足踏みしていた4月に、阪神タイガースの藤川球児投手の変化球(フォークオール)攻めに苛立って、相手投手を誹謗する卑猥な暴言を吐いたとメディアは伝えている。

 松坂も、公式戦や日本シリーズが舞台ならば、清原の要求には乗らなかっただろう。球団も選手のそうしたわがままを許すはずもない。オールスター戦はお祭りであり、ファンも清原の要求した直球勝負を喜ぶ、パ・リーグも話題づくりとして歓迎するはずだ。そう考えた末の行為だろう。

 松坂は早ければ来シーズンにも米国MLBに活躍の場を移すだろう。しかし、清原の理不尽な要求にやすやすと応じたメンタリティーを考えると、松坂の将来に不安を感じてしまう。松坂がMLBで成功するためには、清原の要求を断固として拒絶するメンタリティーが必要になる。(2005年7月24日記)

投稿者 成田好三 : 2005年07月28日 12:53 | [EDIT]

コメント

マヌケな素人意見をぶちまけているんじゃないよ。

投稿者 : 2005年12月15日 16:19

コメントする









名前、アドレスを登録しますか?