2005年04月05日

パウロ2世 -カトリック教会とユダヤ人-

福地波宇郎

ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世が死去し4月8日金曜日に葬儀の日程が決まった。激動の時代をすごした教皇として数々の業績を残した。在位期間は在位1978年10月16日~2005年04月02日に渡る。

 そもそも教皇とはどのような存在かといえばカトリックに置ける神の代理人であり、初代はイエス・キリストの弟子、十二使徒の一人ペテロであるとされている。以降、パウロ2世まで264代に渡り引き継がれてきたという。
パウロ2世が残した業績の中に今までのカトリック教会の罪を認めることと、他宗教との和解がある。特にユダヤ教との和解を試み、ホロコーストの際、ユダヤ民族を見捨て、傍観したヨーロッパキリスト教社会の罪を告白した。このことは非常に大きなことであり、パウロ2世がイスラエルを訪れるまではユダヤ人はイエス・キリストを磔にし、殺した民族であるというのが公式の見解だったのである。

1965年にパウロ6世のもとで第二回バチカン公会議が開かれ、ユダヤ人がキリスト殺しであるとの嫌疑は取り下げられた。実にこのときに至るまでユダヤ人はカトリックにとって「呪われた民」であった。その嫌疑の発端は5世紀にまでさかのぼり、聖アウグスチヌスによるユダヤ人はキリストを殺したがために彷徨う運命となった、との教義が連綿と信じられていた。この会議以降嫌疑は取り下げられたが実際に行動として現れることはなかった。イスラエルを始めて訪れた教皇はパウロ6世だがわずか12時間の滞在でしかも公式の場では「イスラエル」という言葉を一言も発さなかった。中東戦争当時、世界の支持を受けたいイスラエルにとっては肩透かし以外の何者でもなかったのである。

時がうつり2000年3月、ローマ教皇としてパウロ2世がイスラエルを訪れる。パウロ2世はユダヤ人が約束の地に戻る権利に言及した最初の法王であり、反ユダヤ主義を神に対する罪とし、神とユダヤ人との契約が今も有効であると明言した最初の教皇でもある。この姿勢には第二次大戦当時パウロ2世自身がナチスに抗して反対運動を行っていたこともあるが、ポーランド出身であったことも大きな要因であろう。
大戦前、ポーランドには300万人のユダヤ人が住んでいた。当時の人口の1割を占めており、若かったパウロ2世もユダヤ人の迫害される様を目の当たりにしている。実際にイスラエルに訪れた際には小学校時代の同級生であったユダヤ人との再会を果たしている。そのユダヤ人が言うにはその頃、教皇はハンサムで女性にとても人気があった、とのことだった。
そしてこの滞在中、パウロ2世は「多くのキリスト教徒がユダヤ人に向けてきた憎悪は痛ましい歴史の事実」と認めた。それは完全無欠であるカトリック教会自体を非難することはなかったが信徒としてのユダヤ人に対するあり方を非難した歴史的な言葉でもあった。

今回の逝去にあたりイスラエルでもその死を惜しむ声は多く、昨日のラジオではナチスの強制収容所から解放されたとき、自分を背負ってくれた若い神学生がのちのパウロ2世だったと、当時の思い出を語る老婆もいた。

これから新しい教皇の選定「コンクラーベ」に入る。ラテン語で鍵をかけるという意味だがその名の通りこの選挙中は一切外部との連絡、接触を遮断される。世界中から集まった80歳以下の枢機卿から、3分の2の票を得た人物が新たな教皇としてバチカン市国、そして世界10億のカトリック信者を率いるものとなる。この選挙は決まるまで続き、投票のたびに使用した投票用紙を燃やす。不成立の時は湿らせた藁で燃やすため黒い煙があがり、成立したときには乾いた藁で燃やすので白い煙があがる。成り行きを見守る信者達はこの煙でコンクラーベの動向を知るそうだ。

投稿者 福地波宇郎 : 2005年04月05日 18:02 | [EDIT]

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