2004年11月07日

ゲイ擁護は統一ヨ-ロッパの踏み絵だ

小池弘美

 イタリアから欧州議会の議員に選出された一政治家の不用意な発言によって、イタリア政界が揺れている。
 
 去る10月中旬、欧州議会次期副委員長に就任するはずだったブッティッリョ-ネ氏が、同性愛に関して、カトリックの教義に反する「罪深い」ことだ、と発言したのがきっかけである。この発言に“進歩的”な北欧の議員たちが猛反発したのだ。バロ-ゾ新委員長のとりなしも無駄に終わり、ブッティッリョ-ネは欧州議会から去ることになった。実質、締め出されたに等しい。ブッティッリョ-ネの空席を埋めるため、イタリアは代わりの誰かを早急に欧州議会に送らねばならず,人選に苦慮しているところだ。
 
 それにしても、である。
 
 ブッティッリョ-ネの発言は、イタリア国民の多数の意見を代弁しているにすぎない。この国は、首都ロ-マの中心部にカトリック総本山のバチカンを抱え、国民の98%はカトリック信者だ。教義に忠実に従えば、同性愛はおろか、離婚、人工妊娠中絶、避妊、これら全てが「罪深い」ことになる。教義をある程度捨てなければ市民生活に支障をきたすことを、彼らはよく知っている。だからこそ、70年代初頭には離婚を、70年代後半には中絶を合法化したのだ。矛盾を抱えながらも、現実とうまく折り合いをつけてきたイタリア現代史をまったく評価せず、一議員の個人的な見解に過剰反応しているようでは、欧州議会の先が思いやられるというものだ。イスラム教国家であるトルコもヨ-ロッパの一員になりたがっているようだが、トルコ政府は一連のブッティッリョ-ネ事件をどう見たことだろう。
 
 再び、それにしても、である。日本式処世術の代表ともいえる、ホンネとタテマエの使い分けに必要な嗅覚を、もし彼が持っていたら・・・。名誉ある欧州議会議員を辞めずとも済んだに違いない。 
 
 ブッティッリョ-ネ発言に共感するものは何もないが、「同性愛擁護」という踏み絵に対処できず、踏めなかったことを何ら恥じなかった彼を、そっと評価したい、と思う。
 
 「前向きに検討します」「全力を尽くします」式の日本の政府要人発言を聞きなれているせいか、ヨ-ロッパの政治家のホンネ発言は新鮮に映る。こちらの政治を、立ち見席からのぞくコメディ-劇のようだ、といったら不謹慎だろうか。日本社会にあってもイタリア社会にあっても部外者であるわたくしにとって、責任を伴わないこの観劇は、ささやかな特権なのだ。

投稿者 小池弘美 : 2004年11月07日 14:44 | [EDIT]

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コメント

少なくとも私の知っている限りではイタリア国民の多数の意見を代弁しているとは到底思えません。連日の新聞、ラジオ、TVの報道を含め、お笑い番組ですらネタにしていますし恥ずかしいと思った人の方が大多数だと思います。カトリック信者であることイコール教義に忠実な人々でもないし、むしろ国民はカトリックの総本山があることで、富と権力をむさぼる教皇達によって何世紀にも渡り自由を奪われてきました。教義を曲げるに至ったのは国民が離婚や中絶といった社会の変化に対応する選択肢を欲したからであって、折れたのは教皇庁と言えるでしょう。もちろん敬虔な信者がいることも否定しませんが、七五三や成人式と同じ感覚で洗礼を子供に受けさせる親がいるのも事実です。(実際のところ一連の儀式を受けていないと教会で結婚式を挙げる事が出来ないですし)

ブッティリオーネは博識な哲学者だとは思いますが、「ブッシュが行っていても受からなかった」なんてブッシュ再選後のコメントに引っ掛けて平気で各国のインタビューに答えているし、頭の固さは今に始まった事ではないし、驚くべき結果でもなかったのでは。後任に選ばれた現外務省大臣フラッティーニは大喜びだし、少なくともアノ内閣の中においては適任と言えるでしょう。

ローマ教皇が全てだった時代は終わり、ローマでゲイパレードが行なわれるのが今日のイタリアの姿ではないでしょうか?

投稿者 Kaoru : 2004年11月09日 07:34

貴重なコメントをありがとうございます。
ものを書くに際して言葉を慎重に選ぶと言うことは大事なことですね。
たしかに、多数の意見を代弁している、という文章は、強すぎたかもしれません。

もちろんカトリック信者がみな敬虔な信者だとは言いません。ただ、毎日曜日に教会にいくような生活を送らない人たちでも、往々にして彼らの意識下はカトリックのモラルに支配されていると思うのです。
だとすると、問題の発言は、イタリア人の「感覚」からは程遠い、というほどではなかった。

ブッティッリョーネの発言に恥ずかしいと感じる人がいたとするならば、彼が用いた教義に関してではなくて、むしろ、空気を読めずに発言してしまったバランス感覚のなさ、に対してではなかったでしょうか。

お笑いのネタにされたTV番組は、残念ながら観ていませんが、お笑いにし、視聴者がそれを観て笑うことがまさに庶民レベルでのバランス感覚でもあるのだと思います。

離婚が合法化されたとはいっても、教会は依然として教義を曲げてはいません。現在でも、一度神の前で誓った仲なら、その二人がどうなろうが教義の上では夫婦です。中絶や避妊(コンドームの使用)すらも認めていないはずです。教会が政治の側に歩み寄る必要はないし、現状と照らして修正するのは政治の役目なのですから。


投稿者 小池弘美 : 2004年11月09日 23:41

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