2004年09月11日

「女ブブカ」驚異の集中方法

成田好三

 アテネ五輪の陸上・女子棒高跳びで、4メートル91の世界記録を樹立して金メダルを獲得した、エレーナ・イシンバエワ(ロシア)の集中力のすごさ、もっと正確に言えば、集中力を高める方法のすごさに驚かされた。

 女子棒高跳びは4年前のシドニーから五輪の正式種目になった。1984年のロス大会から正式に採用された女子マラソンと同様に、これから人気の高まる可能性の大きい種目である。

 女子棒高跳び決勝はイシンバエワと、彼女のライバルである同じロシアの選手、スベトラーナ・フェオファイワとの一騎打ちになった。メーン会場である五輪スタジアムを埋めた5万人の前で、重力に逆らう高さへの挑戦が、2人の間で繰り広げられた。

 ひと昔前なら、「目から火花が飛び散る戦い」と表現される激しい勝負になった。しかし、イシンバエワは目から火花など散らさなかった。ライバルとは視線さえ合わさなかったからである。

 それどころか、イシンバエワはライバルの存在自体を無視していた。いや、意識的にライバルの存在を排除していた。

 自分の試技が終わるたびにイシンバエワは、棒高跳びが行われるゾーンの脇にあるベンチに、試合場から完全に背を向けて座り込んだ。そればかりか、大きなバスタオルを頭からかぶってしまう。これでは、ライバルの試技を見たくたって見られない。

 人には目にするものに「伝染」してしまう性質がある。人はまた、目線の方向に移動する性質をもつ。自動車事故に遭遇する(しそうになる)際、人は目線の方向にハンドルを切ってしまう。目線の方向を避けようとしても、実際にはそうしてしまう。

 イシンバエワはライバルの試技を見ないことによって、彼女の心と体がライバルに引きずり込まれることを、徹底的に回避したのである。

 この行為は、言うは易く行うは難い行為である。五輪の決勝。金メダルは彼女か彼女のライバルが獲得する状況にある。巨大なスタンドを埋め尽くした観客が、彼女と彼女のライバルを見つめている。TVを通しては、世界中で何億もの人々が注視している。

 そうした極限状況の中でライバルの存在を無視することは、至難の技である。だからこそ、彼女は試技の行われる場所とは反対の方向に座り込んで、しかも頭からタオルをかぶって、彼女のライバルに向かおうとする意識をおしとどめていたのである。

 彼女は試合後、メディアに対してこう語っていた。今後は1センチずつ世界記録を更新していく。旧ソ連の英雄、男子棒高跳びのセルゲイ・ブブカ(ウクライナ)と同じやり方で競技生活を続けると宣言した。

 ソ連崩壊の時代に競技生活をしていたブブカは、国家から得られなくなった支援のかわりに、1センチずつ世界記録を更新し続けることで世界中のメディアの注目を集め、そのことによってスポンサーから資金を得てきた。

 彼女もブブカと同じ道を選択した。そして、言葉の通り、五輪閉幕直後の9月3日、ブリュセルでの競技会で1センチだけ世界記録を更新した。競技場に背を向けて座り込み、頭からタオルをかぶって集中する姿は、その会場では見られなかっただろう。彼女は既に「競技ビジネス」の中で生きることを選択したからである。

 イシンバエワの、競技場に背を向けてタオルを頭からかぶって座り込む姿は、アテネをライブで見た人だけの「特権」になった。極限状況での集中方法は、スポンサーの意向には添わないし、アテネ総集編のハイライトシーンでもカットされてしまうからである。(2004年9月11日記)

投稿者 成田好三 : 2004年09月11日 00:39 | [EDIT]

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