2004年09月10日
「ユビキタス」の本当の意味
もり・ひろし
駅の自動改札でかざしたのと同じICカードを使って、コンビニの支払いを行うとか。カーナビを登載した乗用車で、渋滞の様子をリアルタイムに把握しながら、ETCの料金所を通過するとか。あるいは、携帯し忘れたミーティング用の資料を、マンガ喫茶に置いてあるパソコンでダウンロードして印刷するとか。日常の中でそういった風景に出会うたび、私は「ユビキタス社会」の本格的な到来を実感してしまう。しかしながらユビキタス社会なるものの、本当の意味を理解している人は意外に少ない。もっと言うと、ユビキタス社会の到来を感じた私自身の認識も相当甘い。
最近でこそよく知られるようになったが、ユビキタス(ubiquitous)とは「どこにでもある」ことを意味する英語の形容詞だ。例えば Commercials are ubiquitous. といえば、広告は至る所にあるという意味になる(英辞郎の例文を参照)。ちなみにその語源を辿ると、ラテン語に登場する神学の概念で「神の遍在」を意味するのだという。
この語を用いて 1988 年に「ユビキタスコンピューティング」なる概念を登場させたのが、ゼロックス・パロアルト研究所のマーク・ワイザー氏だ。彼は「あらゆる場所に埋め込んだ情報通信環境を利用すること」をユビキタスコンピューティングと呼んだのだった。近年、コンピューターによる情報処理技術が発達したのに続いて、インターネットや携帯電話などの通信ネットワーク技術も発達し、これらを有機的に複合させた利用方法も一般化した。それゆえユビキタス社会の到来が、一般にも意識されるようになったわけだ。
ところが、ワイザー氏が提唱したユビキタスコンピューテイングの概念には、もうひとつの重要な定義が存在する。それは「利用者がそれと意識せずに、情報通信環境を利用できること」という定義だ。
私たちが普通「情報環境を利用する」と言った時にイメージする風景は、キーボードを打ち込む姿だったり、携帯電話のボタンを押す姿だったりするのだけど、このような方法では、利用者に特殊な技術を強いてしまう。そうではなく、例えば「商品を手に持った状態でコンビニを出ると、自分の口座から自動的に代金が引かれて、その結果が携帯電話に告知されている」とか、「自宅に近づいたら、自動的にクーラーのスイッチが入る」などの自然な所作が、ユビキタスコンピューティングでは期待されている。言い換えると「コンピューターに分かるように人間が指示を与える」のではなく、「現実環境や人間の意思をコンピューターが汲み取る」ことこそが、ユビキタスコンピューティングの神髄ということになる。
翻って、冒頭で触れた「コンビニ支払い」「ETC」「マンガ喫茶」の事例では、確かに情報環境があまねく場所に存在しているかも知れないが、利用者が情報機器の存在を意識している時点でユビキタスコンピューティングの本来的な定義から外れる。実際のところ「ユビキタス社会の到来」には、もう少し長い時間がかかるように思う。
投稿者 もり・ひろし : 2004年09月10日 06:33 | [EDIT]
