2004年03月25日
SAMURAIの行動戦略異聞
鷹井 潤
Battle of Nagashino(長篠の合戦)は劇的な要素を多く含み、英語圏のSAMURAIファンも魅了している合戦であるが、そこに見られる彼らSAMURAIたちの行動を映画Last Samuraiと比較してみると興味深い事実が明らかになる。
この戦闘の舞台となったのは現在の愛知県奥三河地方であり、当時は徳川氏、今川氏、武田氏の勢力が長く拮抗していたため、地元の豪族、武士団は微妙なバランス感覚を要求される状況にあった。この合戦の当時今川氏はすでに没落し、残る武田氏と徳川氏およびその盟友織田氏の間に起きた大規模な軍事衝突がこの合戦である。この地域土着のSAMURAIたちは城主であれ、一兵卒であれ、常に状況判断で常に自らの仕える主人を選んできた。いわば命をかけた自己責任の投資である。城主が選んだ新しい君主に不服を持つ家臣が離反するということが公然と行われ、同族であってもお互いに敵対する勢力に分かれることが当然であった。とはいえ今風の個人主義とはいささか趣が異なっている。というのは彼らが恐れたことは血統の断絶だったからである。対立する大勢力の双方に血統を配分すれば、結果はどうあれ絶滅は免れるという冷徹な計算があったらしい。これは武士道うんぬんの問題ではなく、究極のリスクヘッジであり、投資家の感覚に近い。またこの戦闘の事の発端は、武田方であった一豪族、奥平氏が武田信玄の死と武田氏の凋落を確信し、即座に反旗を翻したことにある。この一族は慎重なリスク分散を選択しなかった。 情報の判断を信じ、当時としては評価の定まらない新興勢力徳川氏に丸ごと命運を賭けたといえる。この決断は人質と多くの家臣を失うことになったが、この一地方豪族は後に中津藩10万石の基となり、明治維新まで存続した。
長篠の合戦はLast Samuraiの結末そのままに騎兵の突撃で幕が引かれるが、武士道の美学に従ったのではなく、彼らなりの戦術的判断があったからである。実際、武田方も銃を使わないわけではなかった。最もリスクの大きいビジネスを生きたSAMURAIというモデルの方が、今時の日本には必要であるかも知れない。
投稿者 鷹井 潤 : 2004年03月25日 21:46 | [EDIT]
