2004年06月23日

いまどきの問題と暗黙知

鷹井 潤

 それが何の脈絡だったかは思い出せない。あるイラン人との会話の会話で、彼がこのように言ったことを思い出した。
「家畜を殺す時は、目を見ちゃだめです、心に悪いと言われています」
 私には意外だった。彼らの文化環境にとって家畜の処分なんて日常であり、もっとドライにやっているという偏見があったからである。多くの国、日本でも死刑の執行は目隠ししたうえで行われるらしいが、考えてみると死刑囚への憐憫というよりも、執行者への精神衛生上の配慮があるのだろう。しかし最近はこの言葉にならないものを認識する、ヒト本来の能力自体が劣化しているのではないだろうか?

 視線というものは非言語的な情報の中でも特に強力なものだが、そうであってもそれが敵意なのか、愛情なのか、その関心の質は漠然とした、より言語化しにくい雰囲気というものから意味付ける他はない。またこのいわば「暗黙の知」は、世代間の文化の蓄積や価値判断を含み、すべての五感を一まとめにして直接経験に学ぶしかない。また意識化によって容易にかき消されてしまうものである。従って学校の教科書からは学ぶことができず、勉強のよくできる良い子が習得しているとは限らない。いわゆるいまどきの若者ばかりでなく、意識化された知的領域で十分に成功した者が、理解しがたい過ちを犯すような場合は、このレベルでの問題が疑われる。?

 赤ん坊の泣き止まない理由を見つけることに、児童心理学は有効だろうか?おそらく専門雑誌を読むより、子守りの経験があった方がずっと有効だろう。これが昔話のように聞こえるのは、人類史上特殊な時代に生きている証左である。人類史上電灯が発明されたのはつい最近、19世紀のことであるが、これなど過剰意識化のメタファーでもあるだろう。大停電が起きれば出生率がたちどころに上昇するという明らかな統計結果がある。役人に土台無理な年金プランを作成させるより、少しばかり明暗のバランスを調整した方が有効だろう。

 この情報の氾濫する社会の中で、分った気になるのはたやすいが、豊かになった情報とは、意識化=言語化され、整理され、関連付けられた既製品としての情報である。しかしその背後には生のままの経験世界そのものがあり、これが潜在的な知識の宝庫と言うべきだ。この源泉につながる回路を確保することは実に健康的なことである。おそらくモラルというものの根源も、ここに依拠していると考えられる。

投稿者 鷹井 潤 : 2004年06月23日 21:37 | [EDIT]

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