2004年07月03日

ハリー・ポッターとホグワーツ校に学ぶ大人の領分

鷹井 潤

 J.K.ローリングの描く魔法使いの世界はノスタルジックで保守的な世界だ。この世界に技術革新という言葉はない。現在の問題を解決する鍵は古文書の中に埋もれている。彼の学校ホグワーツは、過去の偉大な魔法使いたちの業績を伝える場所なのである。したがって老人ほど権威を持つことができるが、それは年功序列に守られている訳ではなく、英知と魔力の差によってである。

 主人公である孤児ハリー・ポッターは亡き母の残した愛情に守られ、父をモデルとして成長を遂げていく。最近映画が封切りとなった第三作では、かつての父の学友たちの登場によって、両親の死の真相が明らかにされ、この少年に克服されるべき過去が明らかにされる筋書きとなっている。このように彼のアイディンティテイーは、圧倒的な過去との相克の中から形作られていくものである。個人主義の視点からすれば、誰の子であるかという理由で特別視され、毎学年ごとに命が狙われることは、まさに不条理という他はないが、一方、彼を支援する力ある大人たちとのやりとりが実に魅力的なのだ。人気の秘密は、この点が子供にとってのツボを突いていることのように思われる。

 星の数ほどある「ハリポタもの」ウェブサイトの多くが、彼とその学友を扱うばかりでなく、重要な関心がその親世代にもあることをご存知だろうか?青少年の言葉の中で「オヤジ」とは通常悪意と軽蔑を含むものであるが、この分野ではその意味がカッコよく、敬愛すべきものとされていることは若者文化の例外だ。自作イラスト付きファンサイトによって、これまでそのイメージを増幅してきた感があるが、ファンにとって今回の映像化は、このイメージの吟味いう意味も大きかったろう。

 子供に愛情を注ぐことは結構なことだろうが、「理解」のある大人とは、時として倒錯的な場合があるのかも知れない。子供に媚びる等身大の大人から子供は何も学ばないし、そのままでは大人にもなれない。そもそも教育とは権力的なものだ。子供を「不完全な大人」とみなすことを前提としている。ありがたい個性というものも、この力と衝突することで生まれる副産物ではなかろうか?

投稿者 鷹井 潤 : 2004年07月03日 21:32 | [EDIT]

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