2003年10月24日

『ニッポニア・ニッポン』最後の飛翔

成田好三

10月10日の朝、一羽の鳥が死んだ。新聞は当日の夕刊と翌日の朝刊にかなりの紙面を割いた。一羽の鳥の『死亡記事』としては前例のない扱いだった。その日が衆議院解散の日でなかったならば、もっと大きな扱いになっていただろう。

その日朝に死んだのは、日本産最後の朱鷺『キン』(雌)だった。毎日新聞は同日の記事(電子版)で『キン』の死についてこう伝えている。「新潟県新穂村の佐渡トキ保護センターで10日朝死んだ日本産最後のトキ『キン』は同日夕、センター内で解剖され、頭部挫傷が原因だったと分かった。突然飛び上がり、ケージの扉に衝突したのが原因らしい。キンは推定36歳、人間なら100歳前後に当たるため、当初は老衰とみられていた」

『キン』の死によって、かつて日本中の野山を自由に飛び回っていた、日本を代表する鳥として『ニッポニア・ニッポン』の学名を与えられた、日本産の朱鷺は絶滅した。

『キン』は生後1年ほどで捕獲されたから、生涯のほとんどすべてを、保護の名のもとで狭いケージの中で『囚人』として暮らしてきた。『キン』の思考力がどの程度あったかは知らない。しかし、筆者はどうしても『キン』が最後に、こんな風に考えたと想像してしまう。

——もう随分長生きした。人間どもの誘いに乗って『ミドリ』(日本産最後の雄鳥)、中国産の朱鷺と卵を産み、子どもを育てようとしたが、それは無理なことだった。年をとりすぎていた。それだけではない。人間どもが卵を産ませようとした時はもう遅かった。個体としてだけではなく、日本産の朱鷺の『生命(いのち)』が尽き果てようとしていたのだから。

『ミドリ』はとうの昔に死んだ。もう仲間は誰もいない。動物や植物が生きるのは、次の世代に『生命』を引き渡すためだが、たった一人ではその望みはなくなった。もう何十年も空を飛んでいない。飛べるだけの力が残っているかは分からない。しかし私は鳥だから、野山や畑や田んぼの上を飛び回っていた朱鷺だから、最後はやっぱり空を飛び回ってみたい——

その時、『キン』にはケージの扉は見えなかった。『キン』に見えたのは、35年前に親やきょうだい、仲間たちと飛び回った佐渡島の空だけだった。

『キン』の死に関して一つだけ確認したいことがある。『キン』は最後にはたしてどれだけの距離を飛んだのか。何回羽ばたいたのか——。『キン』の飛距離は何十センチ単位ではなく、何メートル単位であってほしい。羽ばたきは1回ではなく、少なくとも数回であってほしい。

『ニッポニア・ニッポン』最後の飛翔は、事実としては狭いケージの中だけだった。針金で編まれた扉に激突しただけである。しかし、『キン』の思考の中では、最後の飛翔は佐渡島の澄みきった青い空の中であったに違いない。

投稿者 成田好三 : 2003年10月24日 21:00 | [EDIT]

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