2004年06月18日
小6女児事件を『心の闇』で終わらせてはならない(1)
成田好三
ほんの数日前までは、傍目には親友同士と見られていた2人である。11歳の女の子が同級生である12歳の女の子を学校内で、カッターナイフを使って首を切って殺害するという、社会の常識をはるかに超えた事件が起きた。長崎県佐世保市の小六女児殺人事件である。
この事件をどう受け止めたらいいのか。教育関係者はもちろん、行政や警察関係者も判断停止の状態が続いている。これら関係者と一般社会をつなぐ『媒体』であるマスメディアにしてもそうである。
こうした衝撃的でしかも特異な事件に遭遇した際は、性急に結論や判断を下さない方がいい。マスメディアから次第に漏れ出す程度の、断片的な情報を材料にして、結論を出したり判断を下したりしてはならない。しばらくは、それぞれが胸の内で事件を反すうする必要がある。
加害女児の付添人である弁護士は事件当初、女児は普通の女の子であり、精神鑑定は必要ないという立場を取っていたが、その後方針を変えた。当然のことである。普通の女の子があの事件を起こしたとしたら、集団生活の中で子どもを育てる学校教育自体が成り立たなくなる。
事件に対する判断や結論はまだ控えたい。しかし、加害女児の行為の背景にある内面の異常性、特異性について、一点だけここで指摘したい。マスメディアには、こうした視点が欠落しているからである。
加害女児の警察への供述や、付添人である弁護士の会見などによれば、加害女児は、事件の4日ほど前から殺害を決意し、殺害方法も首を締めるなど幾つか考えていたという。そうであるならば、事件当日、被害女児を呼び出した学習ルームで、加害女児は強烈な殺意を心の内に抱いていたはずである。こうした強い意識は、心の外、つまり仕草や態度などに表れるものである。
人間は、ほとんど本能的に危険を避ける能力や、相手の殺意や敵意を察知する能力をもっている。その能力は12歳女の子であっても同じである。(2004年6月18日記)
投稿者 成田好三 : 2004年06月18日 18:36 | [EDIT]
